草創期と校章PS―窯業高校創立120周年によせて―

2015/10/01
加藤勝利 本校元教諭(昭和37年度卒業生)

草創期と石炭窯

 明治28年10月1日、「瀬戸陶器学校」として開校して、本年平成27年、創立120周年を迎える伝統ある学校である。
  創立時、産業教育事情は明治20年頃から日清戦争前後(1887〜1895)、日本の産業は驚異的な発展を遂げた。手工業・家内工業から工場制工業へと発展していった、いわゆる明治産業革命である。海外の先進諸国の技術に追いつこうとして、実業教育の振興が日本にとって国家的な急務であった。
  明治27年6月「実業教育費国庫補助法案」が公布された。内容は毎年15万円を国庫から支出するものである。このような国家的・地域等の要望により開校となった。
  学校の管理者は、町長の川本枡吉で、校長は工学博士の北村弥一郎先生(東京高等工業学校窯業科卒業後、窯業関係で博士号取得)、教職員3名、生徒18名であった。「学理」と「実地」を併進する形で行われた。卒業生は当初3人であったが、10年後の39年は98名を数えるに至った。
  ※瀬戸村は、明治17年頃より陶磁器に関する研究会を村内の加藤五助工場に設けた。この研究会は今の瀬戸窯業技術センターに匹敵する研究所だった。この研究所が陶器学校に進展していった。※
  明治の中ごろまで陶磁器の焼成は「登り窯」で燃料は薪材であった。
  燃料となる薪材の枯渇による新しい燃料の必要性が出てきた。その結果新しい燃料として石炭が出てきた。
  3代校長黒田政憲先生の指導で、この地方で初めての「石炭窯(倒炎式石炭窯)に」による焼成が試験的に行われた。当時の職員は「初めてのことで何度も何度も失敗したが。」
  明治35年2月26日、当時の「新愛知新聞((中日新聞の前身)」は、「瀬戸陶器学校において瀬戸地方最初の石炭窯火を入れられた。」・「前年に八百円の県費補助に依り築造した。」と報じられた。当日は瀬戸の業者の観覧を許可して焼成実習を行った。この事は当時の学校が地域と一体化しており、指導的な立場であった様子が窺(うかが)える。
  これらの実績により明治44年4月1日町立より県立に移管し、愛知県立陶器学校となった。県立移管された以降、施設・設備・優秀なる教職員等充実した学校になった。

校章・校旗の制定 Pottery(陶器) School(学校)

 校章は大正の初め2年に本校職員日野厚先生のデザインで、全体は楯、中央の白い部分は高坏模様の焼き物を表し、「Pottery(陶器) School(学校)」略して「PS」が付されています。校旗は大正4年大正天皇の御大典の時に制定制作されたものである。校章を旗の中心に置きその下にオリーブと月桂冠を配したものである。この校章は戦時中敵国語である英語が使用禁止の時代も使われており、現在も校旗・生徒の制服のボタン・愛窯坂の陶壁のシンボル等、学校の精神的な中心となっている。
  製作者の日野先生は陶磁器に図案を導入された最初の人でもある。 
  日野先生の薫陶で各務鉱三氏( 芸術院会員)や、加藤土師萌氏( 日本芸術院会員)のような優れた卒業生が輩出した。 
  大正の初めは瀬戸業界発展の時代であった。業界の要請もあって大正3年3月に本校卒業生も参画して「瀬戸図案研究会」が発足した。指導者・メンバーとして日野先生・加藤一・植野儀三郎・加藤省吉等多数参加した。メンバーの中から、当時の農工務商展覧会に多く入選した。大正から昭和にかけての充実し、地域・産業界をリードするほどの実力ある学校であった事を記し、纏めとする。

(瀬戸窯業高等学校創立80周年史・100周年史より)
現在瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会会員

※現在の学科 セラミック科(元窯業科)・デザイン科・商業科・電子機械科・ 専攻科セラミック陶芸・定時制(商業科)


校旗


校章(帽章)


校門入口・愛窯坂の陶壁

瀬戸窯業高校
・公式サイト: http://www.setoyogyo-h.aichi-c.ed.jp
・所在地: 愛知県瀬戸市東権現町22-1


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