ことをたばね、みえるもの

2015/09/10
硝子造形作 植村宏木

陶業のまち。はじめて瀬戸を訪れて私は思った。

心地よい空気のなか、澄んだ水が流れる。
大地にどっしりと構え、炎と向き合い土に魂を宿す人達が居る。

この街で制作を行なうこととなった当初は、硝子という素材や硝子を扱う様々な技法を深くは考えず、ただただ面白さを感じていた。
もちろんそれらは今でも感じているのだが、長い年月をかけて土と向き合う技と心を研ぎすませた人々や記憶に間近で触れると、私にとっての硝子はただの物質にすぎないのではないかと強く感じた。

掛け替えのない繋がりをもつほど、私は硝子と向き合ってきただろうか。
数々の技法を通して、硝子の本質に近づくことはできたのだろうか。

自問自答を繰り返しながらも硝子を扱い制作を行なう日々が続いた。

そして今年の6月、瀬戸市の商店街を中心に開催された商店街でのアートイベントであるartwalkホウボウ2015において多くの協力のもと、大地の恵みである硝 子という素材に感謝し、更に深く硝子と向き合う心構えを備えるための機会を得た。
このイベントから「言束ね」というインスタレーション、パフォーマンス、ワークショップ、立体造形という複雑に姿が変わってゆく作品をつくりはじめた。

はじまりである「言束ね奉告神事」で、硝子を通し大地の恵みによって作品をつくることの感謝を伝え、これから新たに作品つくりはじめることを奉告したのだ が、神事のなかで細かく砕かれた無数の硝子の欠片に両手を触れた時、手のひらを通して心が硝子と繋がった感覚をおぼえた。
硝子を感じる手のひらを除き、身体の感覚はとても静かに張りつめていた。
とても不思議で、貴重な経験をしたのだった。

その後、イベントを通じ瀬戸の人々や訪れた人々に硝子に触れてもらい、作品の一部として関わってもらう形式へと「言束ね」は展開していく。
この「言束ね一筆書き」では、多くの人たちの目線からみた瀬戸を知り、街を通して自分のなかには無かった硝子の見方や接し方を知る事ができた。
この頃から「言束ね」という作品は、私ひとりのものではなくなったように思う。

外の眼と内の眼。
今まで中途半端な立ち位置でみていた硝子を、意識の外である他者の目線でみること。
その逆で、自分の内側の無意識に近いような感覚でしか持てない目線で硝子をみること。
両方の目線でもって、姿を変え続けてきた「言束ね」に最終的な姿を与えるべく、再び作品に手をいれた。

手を取り合うようにつながり、そのつながりを支え立ち上がる姿となった「言束ね」は、私と硝子と瀬戸の言霊を束ねることができたのだろうか。

9月8日、心地よい雨が葉々を光らせるなか、「言束ね」を神前へと奉った。
手元を離れたそれは、それまで見せなかった程の透明感で周囲を透かし、映していた。
どこか此処ではないどこかへにあるのではないかと感じたのだ。

「言束ね」は作品のはじまりから奉納まで、衝動に突き動かされるように身体を動かし、流れに心をまかせた。
そして、ついに私のもとを離れた。
私は作品のはじまりから終わりまで、この街が私を動かしたのではないかと感じている。

ご案内 せともの祭の2日間、奉納作品「言束ね」を展示します。

日時:平成27年9月12日(土)、13日(日) 午前10時〜午後4時
場所:深川神社 社務所

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