復活 藤四郎音頭

2015/04/01
古瀬戸吹奏楽団 副団長 島 淳

瀬戸には60余年続いている吹奏楽団があります。「古瀬戸吹奏楽団」といいます。創立は戦後間もない1954年(昭和29年)に、古瀬戸公民館の青年学級として発足しました。日本国内で最も古い民間ボランティアの吹奏楽団です。当時たった7名で始まった古瀬戸吹奏楽団は、物資の少ない中、近隣の中学校の助けを借りて楽器をかき集め、瀬戸の人々に音楽を送り続けました。娯楽の少なかった当時は、地域の祭、運動会など様々な催しものに引っ張りだこであったと聞いています。

戦後の高度経済成長期には瀬戸の職人の細やかさ、大量生産を支える産業形態もあって、ノベルティをはじとする輸出製品が多く生産され、瀬戸市の経済を支え、景気も順調に伸びていました。そして、その勢いに押され、今から約40年前に陶祖藤四郎を祀った陶祖祭のための音頭を、古瀬戸吹奏楽団が作曲することとなりました。出来上がった「藤四郎音頭」は踊りの振りも付けられ、陶祖祭りで大変にぎやかなパレードを古瀬戸吹奏楽団の演奏で行ったそうです。

しかし、いつしかこの「藤四郎音頭」は時代とともに演奏機会も減り、忘れ去られていました。それが今から2年前、「陶祖800年祭」のために、この「藤四郎音頭」を演奏してくれないかという依頼が、突然舞い込んできました。実は、当時の団長鵜飼八郎氏と増岡市長の間で「陶祖祭でパレードができないか」との約束が交わされていたそうです。この企画が始まった頃、鵜飼八郎氏は病に侵され、入退院を繰り返していましたので、代わりに当時の資料を集めさせていただきました。

楽譜は鵜飼さんの手書きのものが楽団の倉庫の中から出てきました。しかし、パートによっては欠損しているものもあり、完全ではありませんでした。また、団員の中にも40年ほど前に演奏した記憶のある人は数名しかおりませんでした。(筆者は入団35年)そこで、探してみたら、なんと瀬戸市文化協会に当時の演奏の音源がありました。しかも、SPレコード盤です。なんとか再生し、CDに落としてもらい、当時の音源を聞きながら現在の指揮者に楽譜を起こしてもらいました。

次は、踊りの振り付けです。これは映像が残っていませんでしたが、当時振り付けをしていただいた先生がいらっしゃって奇跡的に踊りの振り付けも再生できました。しかし、残念ながら、鵜飼八郎氏はこの演奏が聴くことはなく、永眠されました。

鵜飼さんの遺言となったこの企画をなんとか成功させたいとの思いから、幾度か打合せをおこないました。そして、パレードの段取りを決めていくこととなりましたが、古瀬戸吹奏楽団は歴史のある楽団でありますので、高齢の方も多くいらっしゃいました。当初、深川神社一の鳥居竣功通り初めの式典(平成26年4月19日)にあわせて、銀座通りをパレードして深川神社に至る計画でした。ところが、とても長距離は演奏しながら歩くことはできないとなって、打ち合わせの結果、深川神社参道脇で演奏し、踊りの行列が通るということになりました。当日はお天気もよく、順調に行事が行われました。特に、踊りの皆さんの素晴らしく揃った音頭には、演奏していた私も見惚れてしましました。

ここに「藤四郎音頭」は見事に復活しました。 作曲された当時のにぎやかだった瀬戸を垣間見たような気がします。この年、古瀬戸吹奏楽団は創立60周年を迎えました。11月に記念演奏会が行われましたが、瀬戸市の記憶でもあるこの「藤四郎音頭」を演奏し、踊りも皆さんにも花を添えていただきました。陶祖800年祭を通して、我々の楽団が瀬戸市とともに発展し、これからも芸術文化の一端を担っていくことに誇りを感じることができました。

現在、藤四郎の像が古瀬戸保育園の駐車場の脇にひっそりと祀られており、我々古瀬戸吹奏楽団のメンバーは、この駐車場を利用して、古瀬戸小学校体育館で練習をしています。私は、今回のイベントが、まさに藤四郎に導かれて開催できたことだと感じています。

2014年陶祖祭

当時のパレード

昭和32年 今の地に新市庁舎ができた頃、県外からの大勢の集団就職の娘さんによる4月の陶祖祭の一大イベント「春姿娘道中」が行われた。 加藤瞬陶氏デザインの浴衣に花笠をかぶり、市役所を起点に愛陶工、窯神ロータリー、宮前、中橋、瀬戸公園へと古瀬戸吹奏楽団の演奏を先導に「藤四郎音頭」の踊りは圧巻であった。

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