自然災害の島

2014/12/01
元瀬戸市歴史民俗資料館長 山川一年

 物理学者でもあった寺田寅彦は関東大震災の時、「天災は忘れたころにやって来る」という有名な警句を発している。ところが昨今の日本列島は、忘れる間もなく姿を変えた自然災害の相次ぐ襲来におびえている。3・11東日本大震災の復興途上なのに、今年も3月の広島集中豪雨被災、戦後最大の犠牲者を出した9月の御嶽火山噴火があった。相次いでスーパー台風もやってきた。昭和34年9月にこの地方に未曾有の被害を与えた伊勢湾台風を体験した世代である。当時大学1年生、決壊した堤防に土嚢を積み、ボートで食べ物を届けるなど救済・復興活動の毎日だった。名古屋南部の小学校の校庭に身元が判明するまでコモで覆われて並べられた高潮犠牲者の姿は今も忘れられない。

  天災は避けられない、しかし被害は多くは人災の要素が強い。海抜0メートル地帯に干拓で土地を造成し、海に面した堤防はコンクリート張りでも裏側は土手のまま、乗り越えた高潮で裏側から堤防は崩落した。その後立派な堤防が再建されたが、いつも災害の後に反省し対策が講じられる。都市地理学者の清水馨八郎千葉大学名誉教授は日本の風土文化を「災害進化論」と命名した。「自然との共生」という視点があったなら随分と風景が違ったものになったろうと思う。

 今年、ハワイ島で2つの自然災害を体験した。ハワイは明治時代以降日本人移民と関わりの深い歴史をもつ。特にハワイ島はサトウキビ栽培の中心となって日系人が今も多い。「ハワイ島日本人移民資料館(元大久保清館長)」のお手伝いをと渡航するようになって10年余が経つ。館長も96歳で亡くなられ、資料館もコミニュティーセンターに生まれ変わって足が遠のいたが、当時の知己との交流から今も夏と冬に訪問している。

  滞在中の8月7日にハワイ島にハリケーンが上陸した。実に1992年の史上最強といわれるハリケーン「イニキ」以来22年ぶりの上陸だった。今回の「イセル」は風速70マイル、島の南東部パホア地区を縦断して人家の倒壊はなかったが、巨大な樹木の倒木で電気・電話・交通遮断・一部断水で1週間余もインフラが途絶えてしまった。おかげで住民は氷(冷蔵庫遮断)や燃料・食糧の配給に走り回ることになった。州兵も派遣されたが、日本の自衛隊のように復旧活動に手を貸さない。治安パトロールや配給手伝いくらいで、「テレコム」という電気・電話会社とボランティアが復旧活動の中心だった。KTAやWMというスーパーマーケットや教会・学校なども災害の時はシェルターの機能を発揮した。

  ボルケーノ自然公園は世界遺産に登録された火山公園である。その中心にあるキラウエア火山は1983年以来噴火活動を続ける活火山である。その熔岩流が6月になると突然それまでの南方のカラパナ地区から北東のパホア地区に向かったのである。ハワイの火山は日本の火山のように水蒸気爆発や火砕流ではなく、ゆっくりと玄武岩質熔岩流が流れ下る。10月下旬には火口から約40qの位置に在るパホアの町に接近してきた。日系人など約千人が住む町である。それまでは無人の山林地帯であったが、郊外の日本人墓地を埋め、ゴミ分別処理場に迫った。その進路先にあたる学校(中・高校)の生徒は全員他校に転校させた。10月25日には一部住民に避難勧告を発令している。私が生活するハワイアンビーチスはその先4qの地区である。南方のカラパナ地区ではこれまでに214軒の民家が熔岩で焼失、今回パホアで215軒目の民家が燃え上がった。毎日、地質調査所の研究者などの説明会が開催されているが、その流路先を無人地帯の方向に変えてしまおうとか頑強な遮断壁を構築しようなどという発想はない。ペレという火山を治める女神に祈るという言葉しきりである。


アルビジア(ネムの木)が倒木した132号線道路

【アルビジア(ネムの木)が倒木した132号線道路】

パホアの町にせまる熔岩流(ハワイ島ビデオニュースより)

【パホアの町にせまる熔岩流(ハワイ島ビデオニュースより)】

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