瀬戸の食文化「五目めし」

2013/03/01 
名代五目めし・四季乃舎舎主 加藤 康

 かつて、あらゆる民芸が熟達したといわれた華やかなる江戸文化爛熟期、「瀬戸へ行かんで何処へ行く」と窯ぐれ(陶工)たちは陶都へ集まってきました。

 愛知県瀬戸市は、千三百年以上の歴史をほこるやきものの街です。なだらかな丘陵地帯は良質の陶土にめぐまれ、古代から現代にかけて数多の作品を世に送り出してきました。自然灰釉から古瀬戸、黄瀬戸といった名品の歴史を経た瀬戸の製陶技術は、江戸時代に入ると日用雑器の大量生産へと移行していきます。江戸時代も後期(文化文政年間)になると、後に「馬の目皿」と呼ばれる石皿が盛んに焼かれるようになり、瀬戸の陶器文化も爛熟期をむかえました。時代は下がり、窯の燃料が石炭に変わると、ひしめき合うように林立する煙突からもくもくと煙を吐き続けた瀬戸。その中心を流れる瀬戸川も白濁し、先人たちは川の濁り具合で景気を判断したとも伝えられています。

 そんなやきものと職人の街である瀬戸。その食文化として挙げられるのが、陶工たちに「ゴモ」と呼ばれ親しまれた「五目めし」です。瀬戸の窯元では代々、年始の仕事始めであったり、製品を窯に詰め終わる「窯入れじまい」、焼きあがった製品を窯から出す「窯出しじまい」といった折に、陶工たちに五目めしを振る舞ってお祝いをするという習慣がありました。

陶工たちに「ゴモ」と呼ばれ親しまれた五目めし

【写真1】=四季乃舎の五目めし

 ごぼう、人参、こんにゃく、椎茸、油揚げ、鶏肉といった具材を醤油とみりんのみで炊き上げる。その味付けや具材の種類は、窯元ごとに違いがありました。なかでも「庄平ゴモ」が一番と陶工たちの間で噂になりました。庄平窯のゴモは、鶏肉が多く濃い味付けだったそうです。粘土で油分がうしなわれ、重労働で大量の汗をかいた職人たち。脂気と塩分たっぷりのゴモに人気があつまる所以とも云われています。また、こうしたゴモを食べる習慣が起因して、窯ぐれたちは「おまえ、何回ゴモを食ったや」と言い合い、ゴモを食した回数で職人としての腕の冴えと経験の豊富さを計る目安ともしていたと伝えられています。

 その窯元に代々つたわってきたゴモを味わえるのが「名代五目めし四季乃舎」です。四季乃舎の実家は一里塚にある「丸幸」という窯元でした。江戸中期、加藤幸衛門によって開かれた窯であり、舎主は庶流ながらその十四代目にあたります。四季乃舎で出される五目めしは、その丸幸窯伝統のゴモなのです。実家である窯元を再現した店の佇まいも、暖簾をくぐり重厚な戸をひくと、そこには飴色に鈍くひかる板の間に太くはりめぐらされた梁、昼なおうす暗い当時の空間が広がっています。

 瀬戸のやきものの歴史とともに受け継がれた五目めし。かつて流した陶工たちの汗を思いゴモに箸をはこんでみる。ゴモを食べに瀬戸へいかんで何処へ行くや…

実家である窯元を再現した店の佇まい

【写真2】=実家である窯元を再現した店の佇まい

名代五目めし 四季乃舎(なだいごもくめし しきのや)

  • 場所:愛知県瀬戸市東横山町188−1
  • 電話番号 0561−83−9294
  • HP:http://www.shikinoya.net/


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