トウシロさん

2012/08/01 素山窯 九代 長江惣吉

 私どもの家は瀬戸市東北部の上品野にあり、代々陶業を生業としてきました。先代の八代惣吉より、国宝の曜変天目の再現研究を行っています。私も襲名と共に曜変の研究を引き継ぎ、曜変の窯とされる中国福建省の建窯をはじめ、中国の多くの古窯址を訪れて中国古陶磁技術の研究を行ってきました。その知見に立って瀬戸の陶祖藤四郎伝説を考えてみたいと思います。

 伝説によれば、藤四郎は南宋(中国)に渡って陶磁技術を習得、帰国して瀬戸焼を開いたとされます。藤四郎が作り上げた焼き物が写真1の古瀬戸だとされます。しかし古瀬戸の技術は写真2の進歩した南宋の陶磁器の技術とはかけ離れた古朴なものであって、その実体は藤四郎よりも三百年以上も前から尾張にあった猿投窯の灰釉の伝統を引き継ぐものです。つまり古瀬戸は形状こそ中国陶磁を写しているものの、技術は平安前期以来の尾張在来のものなのです。すなわち、古瀬戸には中国の技術の影響が見当たらないのです。

写真1
写真1

写真2
写真2

 それに対して、例えば朝鮮半島で高麗時代に焼かれた高麗青磁は、確実に中国の越州窯(青磁の窯)の技術が伝わっています。それは窯の形式、釉薬の調合、窯道具の形式などが越州窯と同じもので、それ以前の朝鮮半島の陶磁技術から劇的に変化しています。つまり高麗青磁には、中国からの技術が伝わった明確な証拠があるのです。しかしこうした証拠は古瀬戸には皆無です。古瀬戸に中国の技術の影響が無いということは、中国から技術を伝えた人物はいなかった、すなわち伝説のような陶祖藤四朗はいなかったということになります。

 こう結論を述べてしまうと、「お前は瀬戸の大切な陶祖を否定する気か?」と言われそうです。加藤唐九郎先生は昭和のはじめに著書の中で陶祖を侮蔑したと糾弾され、深川神社前の広場では著書「黄瀬戸」が大量に焼かれ、自宅にも石が投げ込まれたそうです。もちろん現在では、そんな極端な郷土愛に燃える人はいないでしょうから、私も安心してこれを書いていられます。でも、今の瀬戸にも心静かに郷土愛を抱く人は多いはずです。私もその端くれとして、瀬戸の大切な産土神である陶祖藤四郎、物心ついた頃から親しんでいる「トウシロさん」をどう考えたらいいのでしょう。

 私は、常滑にも藤四郎伝説があることを思い出しました。常滑は瀬戸同様に平安中期に猿投窯から分派した瀬戸の兄弟窯です。瀬戸と常滑のどちらにも藤四郎伝説があるということは、その母体の猿投窯に藤四郎伝説の元があったのではないか、すなわち「トウシロウ」とは猿投窯の「陶瓷郎(あるいは陶瓷老)」ではないのか?

 すなわち、平安時代に尾張の猿投窯から朝廷に納められた「瓷器(シキあるいはシノウツワモノ)」と呼ばれた高級な焼き物を焼いた陶工が「陶瓷郎(トウシロウ)」ではないのか?あるいはその陶工集団のことではないのか?などと考えてみました。もちろんこれは学術的裏付けのある話ではなく、単なる私の思い付きです。

 しかし、トウシロウを猿投窯に置き換えてみるとどうでしょう。猿投窯は古墳時代の5世紀に始まって瀬戸に伝統が引き継がれていますから、トウシロウとは鎌倉時代を遥かに遡る古代以来、千五百年以上も継続してきた日本一の歴史と伝統を誇る、尾張の陶業の先人達を讃える名前という事になるのではないでしょうか。

 藤四朗伝説の実際がどうであれ、瀬戸が日本一の陶業地として日本文化史上に果たした多大な貢献は寸毫も動じるものではありません。その貢献を果たした瀬戸の先人達を私たちが讃え敬うのは当たり前のことであって、私たちの誇りであり大切な心の財産でもあります。

 そもそも藤四郎伝説は、瀬戸の焼き物(瀬戸物)を当時の先進国であった中国渡来の技術で作られているとして瀬戸物に箔を付けたい、という願いから生じたものだと思われます。かつての日本人は中国の先進文明に憧れを抱いていましたから。

 しかしこれは、考えようによれば、瀬戸物は中国陶磁の亜流だということにもなります。もちろんそれは事実ではありません。確実に、古瀬戸は中国渡来の技術ではなく尾張固有の技術で作られているのです

 現代の芸術観では、芸術はその独自性・独創性にこそ価値があるとされます。その価値観に立てば、古瀬戸は独自の技術による立派な芸術です。かの北大路魯山人も「古瀬戸は中国陶磁を真似ながらも、高く深い心を蔵して遥かに優れた物を作り出している。」という意味のことを言っています。

 「トウシロさん」も、古代以来の日本一の歴史と伝統を誇る、尾張瀬戸の陶業の先人を讃える神であると私たちが強く誇りを持てば、より良い瀬戸の未来が開けるのではないでしょうか。

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