藤四郎とその時代

2012/05/01 愛知県立大学日本文化学部教授 上川通夫

 瀬戸に住む私たち誰知らぬ人のない陶祖「藤四郎」は、今から800年前の人物だとされています。かの有名な曹洞宗の開祖道元と一緒に南宋(中国)に渡り、その地の技術を身につけて帰国した後、この地で瀬戸焼(古瀬戸)を始めたということです。

 藤四郎の時代は、日本の中世の前半、鎌倉時代にあたります。800年前の日本には、どのような時代の特徴があったのでしょうか。

 地頭や御家人などが力をふるう「武士の時代」、新仏教や旧仏教がうずまく「仏教の時代」、成長する産業発展を担う「民衆の時代」、それに近年ますます明らかになりつつある「飢饉と戦争の時代」、といった諸側面があるでしょう。

 そしてもう一つ、グローバル時代の現代歴史学が解明しつつあるのは、「渡海僧の時代」というべき特徴です。というのも、13世紀前半において、中国に渡った日本人僧侶として、約90人が確かめられています。一方、日本にやってきた中国人の僧侶として、13世紀に16人を見いだすことができます。いずれも確かな文字史料に証拠があります。そのような中、日本人僧道元は、1223年に南宋へ渡り、1228年に帰国して、のちに曹洞宗の開祖となりました。また、14世紀前半に下りますが、瀬戸の定光寺を開いた禅僧、平心処斉も、自身は渡航できなかったとはいえ、帰国日本僧や渡来中国僧に師事して、高い水準の外来文化を身につけ、この地で花開かせています。

 このような時代が、藤四郎にとっての歴史の舞台です。

 ただ、「藤四郎」なる文字史料を、確かな文献によって見いだすのは、容易ではありません。江戸時代の前半に書かれた『弁玉集』(1672年刊)なる書物が、初期のものであるようです。しかし、歴史の事実やその価値は、見いだそうとする現代人の意欲がないと、埋もれたままで終わります。「藤四郎」について、なお今後に探求すべき余地はあることでしょう。

 近年、春日井市の円福寺に残された『円福寺寄進田帳』(1477年〜1555年)なる古文書から、「藤四郎焼茶碗壱つ寄進」という短い記事が見いだされました(『瀬戸市史 資料編三』参照)これまで気づかれなかった、仰天すべき事実です。確かに、室町時代には、藤四郎の名前によって焼き物のブランドが通用していたのです。「藤四郎」の発見は、まだまだ今後に期待されるところです。

 800年も前の遠い過去の、なおも霧の中の存在ですが、歴史の中の藤四郎の存在については、私たちの心に刻むべき理由があると考えます。ともすれば世間では、愛知県の「三英傑」織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に典型的なように、覇者を英雄視しがちです。考えてみると、それらの人は、いわば勝ち組の権力者です。実は私たちの先祖に重くのしかかる支配者だったかもしれません。

 藤四郎はどうでしょう。藤四郎は、この地域の人々の、実生活や生産活動の中から造形された、身近な人物です。向上心や探究心をもって努力した地場産業の先人。そのように仰ぐ、まれに見る健全な歴史意識を、この瀬戸の人々がはぐくんでこられたようです。地域の将来を切り開く心の支えとして、藤四郎が生き続けるよう期待されます。

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