せと狛犬物語

2012/03/01 「せと狛犬物語」編纂協議会代表 小林正二

 瀬戸には「祖」と呼ばれる人物が二人います。一人は「磁祖」と呼ばれる加藤民吉。そしてもう一人が深川神社のお隣、陶彦神社に祀られている「陶祖」加藤四郎佐エ門景正。俗名藤四郎です。春には藤四郎所縁の「陶祖祭り」が行われ、秋には民吉の「せともの祭り」が行われ多くの観光客で市内が賑わっています。

 昨年の春。縁あって市民活動団体の「せと狛犬プロジェクト」に加えて頂き、国の重要文化財である藤四郎作とされる「陶製狛犬」が深川神社に奉納されている事を初めて知りました。そしてこの市民グループがその狛犬で「瀬戸の文化と産業を盛上げよう」としているが、今ひとつだとも聞きました。

 何しろ瀬戸の市民でさえ藤四郎のことを詳しく知る人は少なく、まして若い世代の方となると民吉と同一人物だと勘違いしている人が多いのですから、「陶製狛犬」の価値を知る人は多くはないでしょう。

 もったいない話です。私が生まれ育った大垣市なんて、たいした産業も無いパッとしない地方都市ですが、あの松尾芭蕉が句集「奥の細道」の中で「最後の句を詠んだ」と言う、ただそれだけで「結びの地」として市内を流れる水門川を整備し、桜や紅葉を植え川に錦鯉を泳がせて、今や名所としてバスツアーのチラシが新聞に入っています。市ゆかりの重要文化財があるなんて、他の自治体では「喉から手が出る」ほど欲しいものですが。

 「もっとこの陶製狛犬のことを市民に広く知ってもらえる活動をしよう」。話し合いの中から「絵本を作って市内の子供たちに読んでもらおう」という事になり、プロジェクトのメンバーで「せと狛犬物語」編纂協議会を設立、活動を始めました。たまたま私の兄が絵本などの挿絵を描く画家でしたので、主旨を話すと協力を約束してくれ、作文だけ私達でやることになりました・・・が。

絵本「せと狛犬物語」の表紙
せと狛犬物語の表紙

 早速、市内の図書館や瀬戸蔵などで資料調べからスタートしましたが、なにしろ800年も昔の人物のことです。史実と言えるものはほとんど無く、様々な言い伝えはあってもそれを否定するような話が山ほどもあるのです。例えば「神さまのお告げで土を探しに山中に入った藤四郎が、そこで出会った老婆に貰った懐中の土から祖母懐と言う地名になった。」との説も、「藤四郎が中国から連れ帰った陶工の名前である」とか「周りを山に囲まれた穏やかな土地。お婆さんの懐のようとの地名で、日本各地にある」とか。藤四郎の名前でさえ、文献を調べていくと20以上もあるのです。

 昨年の5月に調べ始めましたが、目指す24ページの絵本にするほどのお話にはとても仕上がりません。メンバーとは幾度も話し合いましたが、とうとう筆が止まってしまいました。

 「史実ではなくても嘘は書けない」との思いと「陶器の地元の話の絵に間違いがあっても」と道具・古窯・服装などの考証。「何故、藤四郎は中国に行き何を学んだのか?」「藤四郎が求めた土とは?その色や質は?」「あの時代の日本・中国、そして瀬戸付近の焼き物の技術は?」などなど悩みは尽きません。

 4ヶ月も過ぎたころ色々な方から「物語なんだから」「子供たちに藤四郎の名と狛犬のことをもっと知ってもらえれば・・・」と背中を押して頂いて、ようやくお話を完成させ、12月に絵本にする事が出来ました。絵本の最後のページには藤四郎ゆかりの地を巡れる「せと狛犬物語アルクロード」と言うマップを掲載しています。

絵本「せと狛犬物語」
せと狛犬物語

 絵本は市内の小中学校の図書室に約50冊ずつ寄贈。協議会の会員になって頂いた方(会費1000円)に一冊進呈。さらに賛助して頂ける方には500円で一冊お分けしています。 瀬戸市の末広商店街の中ほどお店がある「瀬戸ノベルティ倶楽部」に置いてありますが、komainu2012@yahoo.co.jpまでメールを下されば、入手法のご案内を致します。

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