陶祖800年祭

2012/01/01 愛知県陶磁器工業協同組合理事長 加藤庄平

 瀬戸の陶祖である加藤四郎左衛門景正について語ることはこれまでタブー視されてきた。それは昭和の初期に起こった「黄瀬戸事件」や瀬戸市史編纂中の様々な議論などから、なかなか陶祖の実態について確固たるものがなかったためである。

 通説によると鎌倉時代の陶工である加藤四郎左衛門景正(通称:藤四郎)は、曹洞宗の開祖である道元禅師とともに貞応2年(1223)に中国・宋にわたり、中国の製陶技術を習得し、安貞2年(1228)に帰国、仁治3年(1242)に瀬戸で祖母懐土を見つけ、窯を築いたのが瀬戸焼の始まりとされている。しかしながら、文献的にも考古学的にもそれを証明するものはなく、その詳細は今もって明らかにされていない。

藤四郎像
藤四郎像(瀬戸市西拝戸町)

 そうした中でも、瀬戸においては毎年四月の第3土日に「陶祖まつり」が開催されており、昨年で第50回という歴史ある祭りとなっている。また、今から約100年前の明治43年(1910)には「春慶翁700年祭」が盛大に行われており、現在の陶祖公園が整備されるとともに、提灯行列や講演会、出版などが行われ、瀬戸をあげてのお祭りが実施されている。

 この700年祭から100年を経過した今、800年祭を実施しようとの機運が業界を中心として高まり、昨年8月に「陶祖800年祭実行委員会」が設立され、そして作業部会として業界と行政を中心とした「事業部会」と研究者からなる「歴史部会」が設置され、具体的な事業の検討が始まったところである。

 現在瀬戸の陶磁器業界は大変厳しい状況にあると言える。しかしこういった状況だからこそ、瀬戸のやきものの原点を見つめなおしたり、先人達の偉業を顕彰したりすることが大事なことだと考える。陶祖800年祭をとおして、瀬戸のやきものの未来や夢を語り、瀬戸の発展に寄与することが出来ればと考えている。

 日本の陶都瀬戸が作り続けてきたやきものは、「せともの」の名称として日本の陶磁器を意味するものにまでなった。日本人の生活にはやきものは欠かせないものであることから、「せともの文化」はまさに日本を代表する文化であると言える。この「せともの文化」を牽引してきた陶都瀬戸を復活させるためにも、陶祖800年祭は重要なものと考える。

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