岩手県のボランティアを体験して

2011/07/01 災害救援ボランティアせと 藤野昌之

 3月11日の東日本大震災をテレビで見て、日頃から防災活動に参加していて、今回は被害を受けなかった西日本の一員として少しでも被災地のお手伝いがしたいと瀬戸市社会福祉協議会にボランティア登録を済ませていた。しかし、被災地までの距離が遠く、ライフラインが寸断されている中、自身で移動し、食料を調達し、寝所を確保するいわゆる「自己完結」するボランティア活動はすぐには無理だろうと諦めかけていたところ、愛知県社協が災害救援バスを計画している事を聞き、瀬戸市から3名が参加した。4月25日から3泊4日で岩手県陸前高田市、大船渡市でボランティア活動を行うもので、大量の食料と水と寝袋を用意し、名古屋からバスで出発した。初日の宿泊地遠野市総合福祉センターの体育館まで14時間を要し、深夜に到着した。

 4月末と言っても零度近くに冷え込む中、床に直接寝ることを覚悟して行ったところ、簡易ベットを用意してもらっていたのは大助かりだった。

ガンバロウ日本

ボランティアが全国から遠野へ集まった

 2日目の朝、内陸部の遠野市から沿岸部の陸前高田市へ名古屋から一緒のバスで下って行き、沿岸部に出るとバスの中の皆が息をのんだ。窓から見えるものはガレキの山また山。住民の姿は一人としてなく、たまに出会うのは自衛隊員か作業員ばかりであった。

 しばらくしてボランティアセンターに到着し、早速他県の社協から応援に来ていたコーディネーターに作業内容を聞いた。立ち上がったばかりのボランティアセンターの役割を住民に知らせ、ボランティアに依頼する件数を増やす為、被害が軽微で自宅に残っておられる住民を訪問しPRする事だった。「わざわざ愛知県から来てくれたのか」とか「この作業は自分でやるのでもっと困っている人の所へ廻ってくれ」とトツトツと話しておられた。

 3日目は大船渡市のボランティアセンターに向かい、われわれの班は前日と同じ活動を行った。違っていたのは行き先で、自宅が甚大な被害を受け避難所生活を余儀なくされた住民の所だった。避難所となっていた所は市民会館のような建物でコンクリートの床にダンボールを敷き並べ、その上に布団を敷いただけが一人当たりのスペースで、プライバシーも何もない空間だった。年配の女性に「何かお手伝いをすることはありませんか」と尋ねると「全部流されたので頼むことはないヨ」と笑顔ではあるが表情は寂しそうだった。「いつか仮設住宅に移る時はボランティアが必要になりますヨ、その時はこちらへ電話をして下さいネ」とチラシを渡した。別れ際「お身体を大切に」と挨拶すると「正座させて悪かったナ」との言葉が返ってきた。

 岩手県では貴重な体験をさせてもらった。

 震災後3カ月が過ぎてもいまだ劣悪な避難所生活の方々が9万人もおられる。早く仮設住宅に移られる事を願うばかりだ。

何もかも流された陸前高田の市街地
何もかも流された陸前高田の市街地

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