深川神社と藤四郎(5・最終回)

2011/04/01 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会長 加藤恬

 江戸時代の最終年に建設された、藤四郎の事蹟を記した大陶碑は、その後の瀬戸の人々に大きな影響を及ぼしていったことは、間違いのない事実であろう。いうまでもなく翌年から明治の時代となり、世の中のすべてが変わり、日本は近代化にむけて駆け足で走り出した。瀬戸の窯業界も、日本の近代産業の発展とともに軌を一にして、成長を遂げていったのである。瀬戸の窯業の成長とともに、この瀬戸窯の礎を築いた藤四郎は、いわば瀬戸の人々が心に描いた理想像として定着し、絶対化・神格化され、伝説化されていったのであろう。学校教育の場においても、明治5年の学制発布以降しだいに充実されていく中で、瀬戸の子どもたちへも碑文に基づいた藤四郎の物語が分かりやすく教えられたことだろう。そして、誇るべく郷土の偉人として、子どもたちの心の中へ、深く浸透していったにちがいない。

藤四郎の肖像画(小田切春江・描)「尾張名所絵図」より
藤四郎の肖像画(小田切春江・描)「尾張名所絵図」より

 瀬戸の窯業の発展とともに、瀬戸窯を開いた藤四郎への尊敬の念は、ますます高まり、国は藤四郎に「正五位」の位を追贈することになった。「東春日井郡誌」は「明治38年11月18日、明治天皇、伊勢に行幸し給ひし時、春慶(藤四郎)製陶の功績顕著なるを以て、特に正五位を贈り給へり」と記している。これを受けて瀬戸町(当時)は、明治43年6月7日、「陶祖(藤四郎)の700年祭」を大陶碑のある瀬戸公園で盛大に実施した。この時の式典では、まず小松文部兼農商務大臣のあいさつから始まって、各界の名士を招待しての盛会なものとなった。式典の後、各界の専門家が、「陶祖と道元禅師」「陶業改良について」「欧米の陶磁器業界」「如何にして陶祖の霊にこたえん」と題する記念大講演会が開催された。この日、瀬戸町の全戸に、さがり藤に「陶祖700年祭」と書かれた提灯がぶら下げられ、小学生は「むかし、春慶景正の・・・」と藤四郎頌徳の歌を歌いながら、瀬戸公園の陶祖碑と深川神社・陶彦神社を参拝し、更に全町を小旗を振りながら廻るという盛況さであった。

 そして、大正2年、藤四郎作と伝えられる深川神社の狛犬が国宝に指定された。国は明治時代の初めにおこった廃仏殿釈の運動の影響から、文化財の破壊から守るため、明治30年、「古社寺保存法」を制定し、重要度の高い約7000点を国宝に指定した。狛犬は大正2年4月14日、甲種四等美術工芸品として国宝に指定されたのである。この件については、その後時代を経て国は、世界第二次大戦終了後の昭和25年の法隆寺金堂の焼失などを受けて、「文化財保存法」を成立させた。そして、それまでの国宝約7000点は一旦、すべて重要文化財となった。この中で特に学術的、美術的に価値の商い約1 1 0 0点が新たに国宝として再指定された。狛犬は以来、重要文化財として今日に至っている。

 昭和に入ってからも、藤四郎への敬意と称賛は止むことはなかった。おそらく瀬戸全体の総意の結果と恩われるが、宝泉寺の十五世住職、大野囲山師が、陶祖は瀬戸窯の開発の功労者であり、大恩人であるから曹洞宗大本山の永平寺へ院殿号の追贈について願い出た。その結果、昭和2年9月29日、永平寺六十七世元峯八十六叟(そう一老人の敬称)から「陶祖院殿滋光春慶大居士」という院殿号が追贈された。副書には「今般、不老閣猊下(げいかー高僧の敬称)より、春慶居士へ別紙の如く院殿大居士号、相成り候に付、専使を派し之を牌前に薦告せしむ、猶(なお)本山は記念として、香炉一個をその牌前に呈す、大本山 永平寺」と記されている。以来、永平寺ではこの戒名を刻んだ位牌を承陽殿で供養し、法堂では毎日未明の勤行に戒名を読み上げて、陶祖の冥福を祈っているという。瀬戸では昭和3年4月19日、瀬戸公園の大陶碑前において、「院殿号追贈奉告祭」を盛大に挙行した。そして時を経て、昭和29年4月21日に、追贈された戒名を刻んだ陶祖の大石碑が、宝泉寺の境内に建てられ、永平寺の貫主熊沢泰禅禅師を迎えて盛大な供養が執り行われた。

 以上、みてきたように陶祖(藤四郎)は、特に明治、大正、昭和の時代へと瀬戸窯業の発展とともに、瀬戸の人々の心の中に生き続け、より存在感を大きくしてきたように思われる。いわば瀬戸の人々の想いや願いが、陶祖(藤四郎)をより大きく育て上げてきた、と言えるのではないだろうか。戦後の一時期、史料に基づく歴史観からその実在性を問われたこともあったが、それはそれとして、瀬戸の人々が数百年という長期にわたって、陶祖(藤四郎)について語り継いできたという歴史的経緯も尊重されなくてはならないだろう。特に今回記したように、国や大本山・永平寺も陶祖(藤四郎)の功績を称え、「正五位」や「院殿号」の追贈にふみきったのも事実である。したがって、瀬戸の人々は今後とも藤四郎をいつまでも陶祖として敬い、称えていく心構えを持ち続けることが必要であろう。

 特に今年は、藤四郎の遺徳をしのぶお祭りとして、昭和37年にはじまった「せと陶祖まつり」が50回を数える記念すべき年となった。4月16日(士)17日(日)2日間にわたって盛大に実施されることが重要である。

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