配電盤メーカーの創業にみる瀬戸の地場産業

2011/02/01 河村電器産業株式会社 取締役副社長 伊藤保徳

 瀬戸には「やきもの1300年の歴史」があるといわれている。そのルーツについて、充分な知識を持ち得ないが歴史を大切にし、そこから学ぶ姿勢は持ち続けるべきである。企業経営にあっても同様で、創業時の精神は忘れてはならないことである。

 瀬戸市に本社を置く河村電器産業(以下、カワムラ)は、今日、配電盤やキャビネットの専業中堅メーカーであるが、創業が地場産業である「磁器製造」からスタートしていることはあまり知られていない。

昔の工場の風景
昔の工場の風景

 「やきもの」は、陶器から磁器へと進化してきたがそれにより、「器」から各種部材などの製造という成長もある。その中に瀬戸の名を世界に広めたノベルティーもあるが、その他にタイルなどの建材、絶縁材としての電磁器(碍子)などがある。カワムラの事業はこの「碍子」のブローカーから始まっているのである。

 創業者の河村鈴吉は明治27年、現在の春日井市田楽町に生まれている。裕福とはいえないまでも幸せな家庭生活だったようだが、実母が他界してから様相が一変し、小学校を3年で中退し瀬戸の製陶工場に住み込み奉公をすることになった。この時の体験こそが企業経営の根底にあると感じる。

 奉公も終え、より高い技術を求め向った先が京都であった。しかし、そこで惹かれたのは市電であり電気であった。清水焼の窯元で新しいやきものの技術を学ぶつもりで京都に来たものの、市電の車掌になったのである。1年ほどの勤務のなかで、「やきものと電気」が結びつき、電磁器こそがこれからの成長株だと思いついたという。そして瀬戸に舞い戻ったのである。当時、瀬戸地方で盛大に電磁器の製造を行っていたのは「山口工業」であり、鈴吉はそこに入社を果たす。

 ここで少し、瀬戸における碍子発展の歴史を見ておく。

 文明開化を代表する電信の発達に伴い、わが国で電信用碍子の生産が開始されたのは、明治4年、佐賀県の有田においてであった。これは輸入品のガラス製碍子と異なり、伝統のやきものの技術を生かした磁質碍子で、2年後には、同じ製法による碍子、がい管が、瀬戸の加藤杢左衛門窯でつくられるようになった。

 瀬戸に初めて電灯がついたのは、明治時代後半の35年のことだが、そのころまでに電気の需要がますます高まり、電磁器の専門メーカーとして、山悦電機製陶や、川惣製陶所、山久製陶所及び問屋のヤマキ商店が設立されていった。

 35年に、加藤杢左衛門窯が、電磁器の専門工場に移行発展して、大、中、小、二重碍子やがい管などを生産した。その後、数年を待たずして、従来の和物生産の窯元で、電磁器メーカーへ転進するところが相次いだ。

 鈴吉が入社した山口工業も多くの従業員を雇って、がい管、クリート、ノップなどの碍子類およびシーリングローゼットなどの配線器具を製造している会社であった。

 山口工業では、京都から腕のいい原型師を迎えて配線器具の石膏型を作っていた。鈴吉は、自らの体験によって、電磁器の将来に大きな夢を描くに至ったのだが、工場では一人の新米工員にすぎなかった。鈴吉は、何でも「はい」「はい」と追い使われながら、配線器具や碍子の製造技術を熱心に学んだ。

 鈴吉が京都から瀬戸に戻った翌年の大正3年、ヨーロッパでは第一次世界大戦が勃発、漁夫の利を得た日本経済は未曾有の好景気を迎えた。瀬戸の陶磁器も、欧州製品に代わって世界中に進出した。

 山口工業でも、海外への輸出に意欲を燃やし、カタログを印刷してPRにつとめるなど、華々しい活躍をして、社運は上昇した。

 深川神社の西側辺りは茶屋町と呼ばれ、芝居小屋の陶元座には人波があふれ、軒を並べる料理屋からは、夜遅くまで三味線の音色が絶えなかった。さらに大衆浴場、玉突き、射的、商店などが次々に増えていった。昔から尾張の江戸といわれ、宵越しの金を持たない浪費家ぞろいの瀬戸の職人たちは、月2回の給料支払日(15日と月の末日)の夜を待ちかねて、盛り場に繰り出すのだった。

 こうした環境の中、確実に技術を習得していった鈴吉だが、やがて召集令状が届き、シベリアに出兵をする。戦局は長期化の様相を呈したが、幸い、所属部隊の引き揚げにより故郷の土を踏むことができた。しかし復職の挨拶に出向いた山口工業から人員整理の対象になり、解雇であることを告げられたのである。

 茫然自失となったものの、気を取り直し自ら創業することを決意したのである。こうしてカワムラが誕生したのである。
 
  創業後も多くの苦難があったようだが、そうしたことが全て経営の血肉となり今日の三代目まで受け継がれている。

  瀬戸の職人が持つ技術に対する自信と誇り、それに加えて新しいことに挑戦する勇気、従業員は信頼すべき家族の一員という人優先の考え方。これらがカワムラの経営理念になっていることはいうまでもない。

 瀬戸陶業の歴史が1300年あるとすれば、そこから学ぶべきことは実に多い。産業を経済活動という一面だけで捉えるのではなく、文化や生活の営みという視点も必要である。

 市民として、郷土の昔を訪ねることは有益である。

 瀬戸の産土神である深川神社に、銅製の神馬があるが、奉納者の一人に創業者、河村鈴吉の名がある。この産土神に守られ、90余年の間経営が続けられていることに感謝をせよとの心が伝わってくる。

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