深川神社と藤四郎(4)

2010/11/01 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会長 加藤恬

 藤四郎を祀る陶彦神社は建立されたが、瀬戸の窯屋衆は今ひとつ物足りなさを感じていたのではなかろうか。それは藤四郎の人物像について、さまざまな人が諸説を述べているが、確固たる人物像として定着していなかった事によるものと考えられる。

 陶彦神社建立後、ほぼ40年以上経過したころ、瀬戸の有力な窯屋が中心となって、藤四郎の確固たる事績を記した大陶碑建設(瀬戸公園内)を企画し、尾張藩庁へ願い出て許可された。慶応2年(1866)6月着工して、翌年9月2日に竣工(江戸時代の最終年)したもので、大陶碑は日本最大のもので、おそらく世界にも例を見ないものであろう。瀬戸中の窯屋の総力を結集してこの大陶碑は建設された。

 碑文は、尾張藩の中で筆頭格の学者、尾張藩校・明倫堂の督学(校長)である阿部伯孝の自筆の撰文である。彼は今までの藤四郎伝記を集大成するかたちで、堂々たる881文字の漢詩文にまとめ、大陶碑の6面にわたって記載して完成された。

 「陶祖加藤春慶翁之碑」と題する伯孝の碑文を、読み下し文で紹介しよう。

 陶祖、姓ハ藤原、名ハ景正、加藤四郎左衛門ト称シ、別二春慶ト号ス。又、俊慶ト曰(い)ヒ、追称シテ陶祖ト曰フ。其ノ王父(祖父)ハ橘知貞ト日ヒ、大和(奈良県)諸輪ノ荘、道陰邨(むら)ノ人ナリ。知貞、元安ヲ生ミ、元安、陶祖ヲ生ム。元安罪有リ、備前(岡山県)松等尾二謫(てき)セラル(流される)。母ハ平氏、山城(京都府)ノ人、道風ノ女 (むすめ)ナリ。陶祖、幼時、喜ビテせん埴(せんしょく)シ(土をこね)、土器ヲ造ル。恒二其ノ巧ノ殊邦(しゆほう一異国)二如(し)カザル(及ばない)ヲ恨(かな)シミ往学 (中国へ行き学ぶこと)ノ志有リ。既ニシテ長ジテ大納言久我通親二仕へ、五位ノ諸大夫二叙セラル。遂二通親ノ第二子、僧道元二従ヒ、宋二入ル。時二適々(たまたま)彼ノ(宋の)嘉定十六年(西暦1223)ナリ。留学スル者(こと)凡(およ)ソ六年ニシテ帰ル。帆ヲ肥後(熊本県)ノ川尻二卸(おろ)シ、即チ齎(もたら)シ帰リシ土ヲ以テ、小壷三具ヲ船ノ上(ほと)リニ造リ、副帥北条時頼ト道元トニ呈ス。海内(国内)伝ヘテ以テ奇珍(貴重品)ト為ス。陶祖帰リシ時年二十六。因(よ)リテ父ヲ謫所(たくしょ)ニ省シ (流された場所に見舞い)、遂二留リテ陶ス。尋(つ)ギテ母ヲ深草二侍ス(世話をした)。幾何(いくばく)モ無ク母没ス。乃(すなわ)チ陶ヲ京畿及ビ傍近ノ諸州二試ミル。又之 (これ)ヲ本州(尾張)ノ知多愛知二郡二試ミルモ皆可(よ)カラズ。遂ニ本州山田郡瀬戸村二来リ、祖母懐ノ地ヲ観、而(しこう)シテ之ヲ奇(優れている)トシテ曰ク、「地勢陽二向カフ、山高ク水清シ、其ノ土質モ亦齎シ帰リシ所ノ者ト異ナル無シ。」ト。遂二業ヲ斯(ここ)二開キ、終身復(また)他二徒(うつ)ラズト云フ。或ヒハ日ク、「陶祖ノ祖母、佳キ土ヲ瀬戸ノ雨池ノ洞二得、之ヲ祖母懐ト謂(い)フ。」ト。一(いつ)ニ曰ク、「祖母懐ハ陶祖ノ以テ瀬戸村ノ神社深川ノ神二祈リテ夢二得シ所ナリ。」ト。瀬戸村ハ山田郡二隷 (れい)シ(属し)、今之ヲ春日井郡二併ス。蓋(けだ)シ(おそらく)上世(昔)ョリ陶二宜シキ地ナリ。日本後記・延喜式・和名妙・朝野郡載等ノ書ヲ按ズル(調べる)ニ、当時朝廷ノ瓷器(しき−きめの細かい陶器)ヲ本州二徴スル(納めさせる)ヤ、必ズ斯(こ)ノ郡二於テス。降(くだ)リテ陶祖二及ブモ亦既往ノ事跡ヲ聞知ス(昔の事柄を聞いて知っていた)。故二功ヲ為(な)シ易カリキト云フ。陶祖ノ宅址ヲ中島ト曰フ。瀬戸村深川神社ノ東辺ノ田圃(でんぼ)ノ中二在リ。杉一株ヲ樹(う)エ以テ誌(しるし)ト為ス。又其ノ北二禅長庵ト称スルノ地有リ。陶祖、晩年家事ヲ其ノ男(息子)二委(ゆだ)ネ、陶祖ハ庵二於テ、妻ハ宅地二於テ、各自ト築(ぼくちく)シ(占い選んで家を構え)以テ終焉ノ地ト為スト云フ。陶祖ノ没年ハ諸書考フル所無シ。墓ヲ五位塚ト日フ。村左ノ古窯馬城ト称スル地二在リ。今、其ノ手造把握ノ者(手作りでこしらえたもの)ハ本土二道(のこ)サレズ。但、村社ノ廉(すだれ)ニ獅子一双ヲ鎮シ、伝ヘテ以テ其ノ手作ナリト為スモ、亦、其ノ偏(片方)ヲ亡(うしな)フ。村民ノ藤ヲ姓トスル者皆其ノ裔(子孫)ナリ。共二其ノ祠ヲ立テテ陶彦社ト曰ヒ、又、窯神ト名ヅク。例祭ハ三・八月(共に旧暦)ノ十九日ヲ以テシ、三月ハ獅子ヲ戯(たわむ)ラセ、八月ハ馬ヲ走ラス。子ノ藤五郎、孫ノ兎四郎、以下世々先業トス(受け継いできた)。伝(中国の古典の左伝)二曰ク、「九功ノ徳皆歌フ可(べ)シ(九つの功用の恩徳はみんな歌にして称えるのがよい)」。之ヲ九歌ト謂フ(この歌を九つの歌という)。」ト。陶祖、一ヲ此(ここ)二有ス(陶祖は、この九つの功用の中の一つを持っている)。盍(なん)ゾ歌ヒテ以テ之ヲ勧メ壊ス勿(な)カレ俾(し)メザル(どうして歌にしてその功用を人々に教え導き、陶祖の恩徳をこわさないようにさせないのか)。載(すなわ)チ歌二日ク(さて、歌にして陶祖の恩徳を称えていう)。

 として、碑文の終わりに伯孝自ら七言古詩、二十四句の漢詩にまとめ、以上記した陶祖の事蹟を「陶祖賛歌」として高らかに歌いあげ碑文を結んでいる。

碑文については、「陶祖加藤春慶翁考 村瀬一郎」参照

陶祖加藤春慶翁之碑

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