瀬戸八景―深川新樹

2010/05/01 元瀬戸市歴史民俗資料館長 山川一年

 少し前につくば市にある国立環境研究所が全国の自治体宛に、「御地に伝えられている八景を教えて下さい。」という面白い調査を行った。中国に倣った「近江八景」のあれである。八景の教科書となった近江八景を紹介しておこう。

一比良の暮雪  二矢橋の帰帆  三石山の秋月  四瀬田の夕照
五三井の晩鐘  六堅田の落雁  七粟津の晴嵐  八唐崎の夜雨

 この基本形で各地の景勝地を詠む慣わしが江戸時代に流行った。先の調査時点では愛知県下に89の自治体があったが、意外にもこのご当地八景をもつものは15(内2自治体は戦後の制作)にすぎなかった。さすがに芸所名古屋の周辺に多く残されていて、江戸中期の作とされる尾張旭のものや、旧幡山村の「山口八景」や「本地八景」も残されている。旧水野村にも「小金山八景」があった。

 私の元の職場だった資料館に明治初期に編まれた「瀬戸八景集」という小冊子があった。美濃紙の木版刷で表紙とも25枚の横綴である。二宮其迹(きせき)翁(深川神社宮司九右衛門)が明治十四年初春の序文を載せている。交流のあった栖雲居武貫と加藤景登が編纂に関わっている。景登は加藤清助翁、山陶屋を経営し瀬戸公園の六角陶碑を建造した風流人でもあった。其迹は二宮守恒(「染付焼起原」を編んだ社家)が天明年間に詠んだ和歌から八景を選んだとしている。

一禅長庵暮雪  二祖母懐春雨  三深川新樹  四馬ヶ城郭公
五古瀬戸晴嵐  六宝泉寺晩鐘  七森橋納涼  八中嶋秋月

 禅長庵は藤四郎山(瀬戸公園)にあった。森橋は瀬戸街道が今村から瀬戸に入る川に架けられていた。中島は陶祖宅があったとされる。馬ヶ城はこの時はカッコウが詠われる。

 このそれぞれの八景に発句を集めたが、和歌・漢詩もありさらに当時の著名な画家が絵も添えている。画家はそれぞれ素雪・木僊・滄江・湖山・浩然・気墨・如雪・宗達の8人である。

 「深川新樹」の画の作者は滄江。

降雨の音も洩らさぬ新樹かな…華睡
ゆかしさは只深川の新樹かな…古柳
朝は猶御手洗清き新樹かな…鶴聲
常汲ぬ神の井もある新樹かな…竹雄
   (以下25首省略)
日のすけて露のしたたる新樹哉…武貫
深川の神の宮居の夏木立 すかすかしくも茂り合ひけり…吟足

 大正時代に編纂された『東春日井郡誌』や『瀬戸町誌』に載る瀬戸八景は

一深川の新緑  二祖母懐の春雨  三中島の秋月  四馬ヶ城の子規
五古瀬戸の松涛  六前田の水鶏  七宝泉寺の晩鐘  八雪中の窯烟

 と変化する。子規はホトトギス、水鶏はクイナのことである。

 こちらの瀬戸八景は鈴木竹屋が五言絶句の漢詩で詠んでいるが、

「深川新緑」
林樹経千歳  林樹千歳ヲ経
亭々摩碧天  亭々トシテ碧天ヲ摩ス
雨余人拝処  雨余人拝スル処
緑滴古壇前  緑ハ滴ル古壇ノ前

 深川神社境内の陶彦社拝殿と窯神神社拝殿に染付け画の瀬戸八景集の額が掲げられている。昭和61年に愛知県陶磁器工業協同組合が奉納したもので、「庚辰冬十月 七十八翁(村瀬太乙)」の題字が写されているところから、明治時代の八景集である。さらに、「瀬戸八景集」の挿図2葉(素文絵)の「登り窯」と「陶房(モロ)」が加えられている。一方、瀬戸市役所東の瀬戸川に流れ込む陣屋川に架けられた追分橋の欄干にも同様の染付け画の八景集が取り付けられている。平成5年3月の竣工になっているが、瀬戸が「まるっとミュージアム」であるためには嬉しいことである。

窯神神社拝殿の八景集

【写真1】=窯神神社拝殿の八景集

追分橋の八景集

【写真2】=追分橋の八景集

陶彦社「深川新樹」

【写真3】=陶彦社「深川新樹」

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