瀬戸の珪砂産業

2010/04/01 愛知県珪砂鉱業協同組合理事長 山中俊博

  愛知県瀬戸市といえば、1300年の歴史を誇る陶都。瀬戸の発展を支えてきたのは世界有数の良質な「陶土」を持つ地層です。この地層はまた、良質なガラス原料である「珪砂」を産出し、古くは石粉、ガラス粉と呼ばれる乾燥珪砂の生産に始まった瀬戸の珪砂産業。時代とともに発展し、現在は湿式珪砂の生産地として国内生産の約50%を占めるに至っています。

石碑 さて、瀬戸の珪砂産業の歴史を辿ると、明治18年に赤津村と山口村で石粉硝子協同組合が組織され、「珪石」を精製した「美濃石粉」が生産されていました。山口地区(明治39年に旧山口村が幡野村と合併し、幡山村となる)では、当時の山口村村長(大津賢廉)の尽力により、枯渇する「珪石」に代わる「珪砂」を精製した「幡山石粉」が生産され、やがてその名は全国に知れ渡り、山口地区の珪砂産業は大正元年に硝子原料製造会社を設立し、火力と水力、水運(水車)を利用して大量生産が行われるようになりました。山口地区における石粉業開創の来歴を後世に伝えるための頌徳碑が、瀬戸市上之山町の富士浅間神社入りロに建立されています=写真上=(瀬戸市立図書館蔵/『幡山村史』に碑文掲載)。

 その後、需要の増加に伴い、大量に原料珪砂の埋蔵されている山を開発するため、昭和2年に現珪砂組合の原点である「有限責任瀬戸硝子原料購買組合」を設立、県有地の埋蔵品の払下げと云う形で採掘するようになりました。昭和16年の太平洋戦争突人後は一転して、軍需統制下(兵器生産用鋳物砂)での生産、昭和20年、終戦を迎えます。戦後の混乱期は長らく需要不振が続き、昭和28年頃より漸く需要が高まり出し、昭和34年頃から経済界は活況を呈するようになり、珪砂産業も活発な動きを見せ始め、高度経済成長とともに急激に発展しました。また、この時期にブルドーザー、パワーショベル、ダンプトラックなどを駆使する今日の操業体制が確立されました。

 以降、瀬戸の珪砂産業は、様々な社会経済の変動にもまれながらも事業活動を維持してきましたが、バブル経済崩壊後の国内製造業の長期低迷、産業構造の転換等に伴う不安定な経済状勢は各業界に多大な影響を及ぼし、特に珪砂業界を含む当地区窯業界は、全般的な需要不振に加え、輸入品の伸長・生産品価格の下落など、かつてない厳しい経営環境下での操業を余儀なくされ、現在に在ってもこれを克服するに至ってはおらず、さらにはリーマンショック・為替の変動・物価の下落等々、景気後退の懸念要因が加わり、従来にも増して厳しい状況下に在ります。

 この様な状況を一刻も早く克服し、先人達によって興された「瀬戸の珪砂産業」のさらなる発展を目指し、今後とも努力していかなければならないと考えています。

碑文

【図】=「幡山村史」より(瀬戸市立図書館蔵)

訓読文

【図】=碑文の訓読文

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