深川神社と藤四郎(1)

2010/02/01 瀬戸・尾張旭郷士史研究同好会長 加藤恬

 赤津の万徳寺近くで生まれ育った私は、少年時代、友だち数人と洞道を通って、藤四郎 まつりに出かけることが、大きな楽しみの一つであった。なにせ昭和20年代の半ばのこ となので、日本は戦後復興に入ったばかりのころで、まだまだ豊かな時代ではなかった。 わずかな小遣いを手に、深川神社や陶彦神社をお参りすることもそこそこに、神社前の参 道に軒をならべている、たくさんの露店を見比べながら、何を買おうかと思いめぐらし、 神経を集中していた。そして、数匹の金魚を買い大切に持ち帰り、飼った懐かしい思い出 がある。

 そして、年を重ねるにつれて、瀬戸の産土神である深川神社と陶祖である藤四郎につい て関心を抱くようになり、今日に至っている。

 探川神社は、古くは平安時代の延喜式神名帳(905年)にも載せられた式内社であり、由緒ある神社として瀬戸地域の中心的な神社となって発展してきた。かつてはハ王子社と称され、祭神は天照大御神の8人の御子神である。

 藤四郎(加藤四郎左衛門景正)は、鎌倉時代の1227年、道元禅師に従い宋(中国) へ渡り、焼き物修得に励んだ。そして帰国後、良質な陶土を求めて全国を行脚し、遂に瀬 戸の祖母懐で念願の陶土を発見した。そこで宋で身に付けた施軸陶器の生産に着手し、瀬 戸の焼き物を全国にゆきわたらせ、瀬戸焼きの祖と仰がれ陶祖と称されるようになった。 また、藤四郎は深川神社に感謝の意をこめて、自ら制作した狛犬一対を奉納して後世に伝 えた、と瀬戸の人々は今日まで語り継いでいる。

 次回から、深川神社と関係の深い藤四郎にスポットをあてて、どのように語り継がれ、どのように記録されてきたのかを記していきたい。

陶彦社

【写真】=陶祖、藤四郎を祀る陶彦神社

掲載の記事・写 真・図表などの無断転載を禁止します。

著作権は深川神社またはその情報提供者に帰属します。