せともの祭

2009/09/01 愛知県陶磁器工業協同組合理事長 加藤庄平

 わが郷土瀬戸の発展は瀬戸焼を興した陶祖・加藤四郎左衛門景正(藤四郎)と磁祖・加藤民吉の二人の産土神に由るものであります。今年で第78回目となる郷土最大のイベントとなった「せともの祭」は加藤民吉翁の遺徳を偲ぶ窯神社祭が起源となったものです。一昨年はちょうど民吉翁が九州での修業を終えて帰瀬して二百年に当たるという「民吉イヤー(年)」のせともの祭でした。48件の催事が実施されましたが、中でも民吉を助けた天中和尚の天草東向寺から現岡部住職をお迎えし、さらに民吉が2年に亘って修業した佐々町からも関係者が来瀬されました。まさに「飲水思源」(現在の繁栄もその源のお陰であることを忘れない)の祭りでした。

 さて、今年は瀬戸市制80周年に当たるせともの祭です。同じ陶磁器産業の王道を歩んだ中国の景徳鎮市とは一衣帯水の歴史で結ばれ、平成8年に両市は友好都市提携を結びました。その後も瀬戸市はやきものの縁で、フランスのリモージュ、チュニジアのナブール、韓国の利川各市と友好提携を結びました。これらの姉妹都市の代表がせともの祭に訪れます。また10月には愛陶工が中心となって景徳鎮を訪問する予定です。

 民吉翁の帰瀬後、瀬戸は九州の丸窯技術を導入して急速に染付焼(磁器)を発展させました。私事になりますが、家業は瀬戸で最後の丸窯となった窯屋でした。江戸時代後期、初代庄平は加藤半右衛門の次男で分家して庄平窯(「丸窯」の呼称)の家祖となりました。4代庄平(秀雄)は私の祖父ですが、家業のかたわら愛知県会議員を5期務め斯業の発展にも尽力していました。昭和12年に梨本宮家に磁製大テーブルを献上できたことをいつも誇りとしていました。これを焼成した最後の丸窯は6連房で長さ45メートル、幅15メートル、高さ6.5メートルで一回の焼成は320時間、1.7万束の薪を使用しました。時の流れとは言え、この丸窯が現在に残されていたらと残念でたまりません。

 陶業界にとり、時の流れには厳しいものがありますが、瀬戸の人々が持つチャレンジ精神・勤勉さにより生きる道は必ずあると信じます。ファインセラミックスの分野が出来たではありませんか。

  せともの祭も変化しつつ、新しい盛大なお祭りになると思っています。

丸窯

【写真】=丸窯(明治28年頃)

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