銀座通り商店街の今昔

2009/08/01 銀座通り商店街振興組合理事長 河本篤

 深川神社界隈を散策すると江戸時代後期、文政年間の遺産を数多く見つけることができる。深川神社の本殿や陶彦社、参道の石燈籠などがそれにあたる。これは、磁祖・加藤民吉によりこの時代に瀬戸が飛躍的に発展した証しといえよう。

 このような視点で銀座通り商店街の歴史を振り返ってみると瀬戸の街が発展し商店街が賑わった2つの時代が浮かび上がってくる。一つは、大正から昭和初期の時代、そしてもう一つが昭和30年代から40年代半ばの高度成長の時代である。

 銀座通り商店街の誕生は、明治20年ごろとされているが、現存する建物の多くが、大正から昭和初期に建てられていることから、商店街としての形ができたのはこの時期ではないかと思われる。明治の末頃より大正時代にかけて、「瀬戸へ行かんでどこへ行く」といわれたように瀬戸へ行けば仕事があるということで多くの人が農村から瀬戸へ移り往み、昭和4年には、瀬戸市が誕生した。この時代を象徴する建物が、昭和4年創業の「原田写真館」で、ほぼ当時の佇まいがそのまま残っている。銀座通り商店街では、この秋、市制施行80周年記念事業として、この原田写真館を舞台に「温故知新・・・懐かしの昭和遺産展」を開催する予定で準備を進めている。

原田写真館

【写真】=昭和4年創業の原田写真館。現在は空き店舗になっている。

 2つめの高度成長の時代に話を進めよう。

 第二次世界大戦後、復興需要もあり瀬戸の産業の立ち直りは案外早く、商店街も徐々に賑わいを取り戻していく。昭和30年代に入ると、九州や北陸から集団就職で瀬戸に来た人が多く、休日の楽しみは、商店街で映画を見て、食事をし、買い物をすることだった。「銀座通り」の名称もこの頃東京の銀座にあやかって、瀬戸で一番の繁華街という意味でつけられたものである。そして昭和39年にはついに念願のアーケードが完成し、商店街の最盛期を迎えた。よって、この時期を象徴する建造物はアーケードといえる。

アーケード

【写真】=銀座通り商店街のアーケード

 老朽化したアーケードをお荷物と見るか、遺産と見るかは、議論の分かれるところだが、全国のアーケードを撤去した商店街のほとんどが、商店街としての機能を失っているのが現実であることを見ると、紛れもなく銀座通りの曲がりくねったアーケードは、昭和遺産なのである。愛知万博の開催を契機に、私たちは商店街の活性化を進め、一定の成果を得たが、これから10年くらいの間に後世の人たちに何かを遺したいものだ。

◆せと銀座通り商店街(http://www.seto-ginza.com/


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