「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
今日は、ボクシングにかける若者を紹介したい。
初めて必勝祈願に来た彼の印象は、無駄のない鍛えられた身体に加え、試合に向けて精神も研ぎ澄ましつつある清新さである。
それは、プロになった年に新人王日本一を決める闘いの初戦のことであった。
彼は勝ち進み試合のたびに祈願に訪れた。
ご祈祷をうけに来ることも殊勝なことだと思うが、それ以上に感心するのは、試合の後に必ずお礼参りに訪れることである。
新人王選は、惜しくも西日本の代表選抜選で敗れてしまった。その試合翌日、彼は瞼の上を切り腫れ上がった顔で神社に現れた。
こうした若者が精神の拠り所として神社に訪れてくれることが非常にうれしい。これからも、陰ながら神様と共に彼の活躍を応援したいと思う。
薬師寺ボクシングジム所属 滝川 潤
陶芸で有名な瀬戸市、ここで僕は生まれました。
3人兄弟の末っ子に生まれた僕は、実はお絵描きが大好きな子供でした。
ボクシングと出会ったのは小学4年生の頃です。兄が友達から借りてきたボクシングのスポーツ漫画がきっかけです。
最初は兄との話のネタにしようと読んでいましたが、いつの間にか話のネタではなく本気でボクシングにのめり込んでいました。
ボクシングを好きになってから色んなボクシングジムへ見学に行ったり、ボクシング雑誌を見たりと「ボクシングオタク」でした。
親にはもちろんボクシングをする事を反対されていました。すぐに飽きるだろうと思っていたようです。また特に母は、危険をともなうスポーツだからと心配だったようです。
しかし、僕のボクシングに対する熱が冷める事はありませんでした。
中学3年時、親もついにボクシングをすることの許可をくれ、ボクシング部のある享栄高校へ進学させてもらいました。その後は、日体大へ進み、高校、大学の部活では主将も務めさせてもらいました。
学生時代は、残念ながら自分の満足のいく良い結果は出しきれなかったものの、プロでチャンピオンになりたいという気持ちが強く、大学卒業後はプロになることを心に決めていました。
そして、プロになり デビュー戦を控えた2日前、必勝祈願にきたのが、ここ深川神社です。叔母の家の近所にあり、お宮参り、七五三など我が家の節目には よく御参りに来ていました。昔は何とも思わなかったことですが、大人になった今、お参りをすると不思議と清々しい気持ちになる事を感じ、そして その後の試合では良い結果を出すことができました。
それ以来 試合の度に深川神社へ必勝を祈願しに行く事が恒例行事になりました。
次の試合も必勝祈願で気持ちを落ち着かせ、全ての力を出し切れるように頑張りたいと思います。
2014年度 中日本ミニマム級新人王を獲得
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