「言束ね(ことたばね)」奉告神事について

2015/06/09

それは、不思議な空間であった。

ガラスの欠片を注ぐ様子

木箱に入れられたつぶつぶのガラスの欠片が、桝で汲み出され、ザザッザザッ、ザザーッとまるで小波のような音を立てながら床にこぼれ落とされる。そのガラスのこぼれ落ちる音と流れる笙の音色がまったりと合間って、異空間へ誘うようだった。透明な大小のガラスの粒たちは重なり合い、やがて一つの白い円を成し、榊を抱き神に捧げられた。

完成作品

6月5日、陶祖を祀る陶彦社で、ガラス作りの若者がインスタレーションを執り行い、「言束ね」の作品作りを始めることを神に奉告した。御神前で作品作りを奉納する試みは、私が知る限りでは過去に例がないことである。

art walkホウボウは、作家と商店街が協力して行われ、各店舗で作品を展示しアートに親しんでもらおうというイベントである。今年3月初め、その展示を神社でさせてほしいという作者がいるので相談したい、との申し出が運営委員からあった。神社の一角でガラス作品を展示するだけだろうと思っていたが、作者から話を聞いてみると、単なる展示ではなく、作品を作る過程から奉納したいとのことであった。正直なところ、ずいぶんと大胆なことを言うものだと思った。しかし、「作品は、土の恵み、ガラス作りは、珪砂の恵みを得てはじめて作ることができ、瀬戸で学べたことの喜びと感謝を表す場所はここなんです」という、素直で純粋な理由が新鮮で心を決めた。

更に、彼の作品作りには続きがあり、一旦神前に捧げられたガラスの欠片をartwalkホウボウの開催中の街中へ持ち出して、訪れた人々にその欠片に文字を書いてもらい、最終的に一つの作品に作り上げて奉納するということである。
ここで、最も私の興味を引いたのは、ガラスに文字を記し「人の心を篭める」という行為である。これは正に、日本古来の「ことばに魂が宿る」という言霊(ことだま)の考えに合致するものである。神道では、非常に大切な概念の一つである。

どのような作品になるのか誰も皆目見当がつかない、分かっているのは本人だけ、作品の姿が描かれているのは、本人のアタマの中だけである。製作に20分くらいかかるというので、無音では味気ないから神社らしく雅楽をBGMにする提案をし、雅楽に通じているものに意図を伝えて選曲してもらった。選んだ曲が相応しいかどうかは、これまた本人にしか分からない。ましてや神前で作品を作るという突拍子もないことを言い出す芸術家なので、感性に合わねば無駄であるから、試聴する必要があった。その曲のCDが本人の手元に届き、聴いたのは前日のことである。

今、これを読んでくださっている皆さんも、初めてのことなのできっと不安があったのではないかと思われるだろうが、不思議と不安は感じず、なんの根拠もないが、きっとうまく納まると思えた。

恐らくは、神様が人を招き、曲も選び、神様自身が楽しまれたように思われる。

完成作品部分

掲載の記事・写 真・図表などの無断転載を禁止します。

著作権は深川神社またはその情報提供者に帰属します。