「一の鳥居」鋳造火入れ式

2013/12/15

12月13日に、一の鳥居を製作する富山県高岡市の会社へ火入れ式を執り行いに出かけました。参加者は、総代6人、工事関係者5人と私。グリーンケーブルテレビが、この儀式をぜひ取材したいとのことで同行しました。
寒空の晴天で気温の低い朝でした。

7時半過ぎに瀬戸を出発し、高速道路を順調に走っていったのですが、だんだんと雲行きが怪しくなり、小雪がちらつき始めました。郡上八幡を過ぎてから、少しずつ道路わきの跳ね上げられた雪量が増えていき、路面もじゃりじゃりと音がするし、雪の轍がはっきりしてきました。ひるがの高原に近づくにつれ、つい一時間ほど前に瀬戸を出た日と同日とは思えない雪景色が360度広がり、既に冬本番であることを体感しました。

車中では、これくらい荒れた天気のほうが記憶に残りよいとの意見もでるほどです。確かに何の苦も無くあっという間に着いてしまっては、味気ないし印象が薄くなるかもしれません。その天候もひるがの高原を境に、下っていくにつれて周囲から雪は消えていき、高岡市内は雨でした。

鳥居の製作を請け負った平和合金に13時過ぎに着きました。
工場内は、金属の匂いが漂い、高炉のゴーッという音で大声を出さねば声がよく聞き取れないほどです。工場が活きているという感じが、それまでは図面上の話であった鳥居が、いよいよ造られ始める、本当に建てるのだ、という現実味を与えてくれました。

鋳込む柱の型の前に祭壇を組み、神事を執り行いました。
目の前の金属を正に溶かしている炉と型を清祓いし、参列者の玉串奉奠が終わり、次は型に流し込むのを待つばかりです。職人が状態を確認している様子です。「あと50度上がらないといけない」とのことで、待つこと約10分。炉から大きな金属のバケツに赤々とした溶液を移します。約1200度の青銅は、ドロドロしておらず、水のようにさらさらと流れます。移すときの勢いで溶液が跳ねるのでバチバチと火花が飛び散ります。

無事に型に納まったところで、溶鉱炉も止められ辺りは静かになるとともに、ひんやりとしてきました。平和合金の社長さんの話では、青銅の鳥居は千年もつそうです。その頃、瀬戸の街は果たしてあるのか、地球はどうなっているのか、想像もつきません。ただ、私の中には、途方もない時空を超えるのであろう鳥居の生成される瞬間に御奉仕させていただけた有り難さが、じんわりと滲んでいきました。一世一代の大仕事と言っても過言でないかもしれません。

安堵感と満足感で満たされた私たち一行は、帰路につきました。
途中、事故の為に高速道路から降りなければならず、ちょうど一番雪深い荘川付近で下道を走らなければなりませんでした。まだ5時を過ぎたばかりというのに、かなり暗く灯りのともっている家もありません。狭い道幅のうえ積雪は30p近くあり、もし、前を走る車が一台でも立ち往生したら、後続車はにっちもさっちもいかなくなる状態です。年にせいぜい一度、二度雪かきをするぐらいの生活圏では、雪を眺めて愛でる事ができますが、豪雪地帯では、雪は決して情緒的な存在ではなく、生活苦であることがよく分かる経験でした。

お陰様で30分ほど下道を走ったのち、再び高速道路に乗ることができ、郡上辺りへ戻れば、雪のないのが現実で、雪に埋もれていた先ほどまでは別世界にいたような気分でした。日本は、広いものです。

さて、間もなく平成26年が幕を開けます。
皆様からいただいたお気持ちが、いよいよ鳥居という形となって現れることになります。深川神社の歴史のみならず、瀬戸の歴史に残るような立派な鳥居が見事に建つことを心から祈ります。

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