「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
「日の本に 生れ出にし 益人(ますひと)は 神より出でて 神に入るなり」
〜中西直方 詠歌集『死道百首』(宝永4年著)〜
神道では、人は亡くなると、その家を子々孫々守っていく守り神となる。
春を待たずして、一歩早く節分の夜に神座に立ち返っていかれた団十郎さんは、今は、歴代の団十郎たちに列座され、歌舞伎界の行く末を大きな目で見守っていられることだろう。
時代が変遷する中で伝統を守り継承することは、大変なことであると、この小さなお宮を守る立場でさえ感じるのであるから、歌舞伎界の屋台骨ともいえる市川宗家を支えていらした重責は、想像するだけでも肩がずっしりとしてくるようである。
私たち神主が奏上する「祓い詞」(はらいことば)というものがある。これは、お祓いをするときの基本であり、どこの神社でもご祈祷をする一番初めに奏上する決まった文言のものである。しかしながら、同じ文言でも、人が違うと異なるように聞こえるから不思議である。その違いが、人の個性であろう。
歌舞伎は、形式の美学ともいえる材料がふんだんであり、型どおりに行うのが基本であろう。同じ台詞で同じ立ち回りで、同じ場面で同じように見得を切っても、演じる役者によって味わいが出る。団十郎さんの演じる人物は、重厚で大らか、豪快で潔く、深い慈しみの心があふれていた。
勧進帳の弁慶は、豪快さが有名である。もちろん、荒事も素晴らしい。でも、弁慶の人間味を感じたのは、関守に疑いをかけら足止めされた義経を打擲し、何とか関を通させた後、主人に無礼を詫びる場面である。大きな弁慶が、申し訳なさに全身を震わせて泣く姿が、とてもとても小さく見えたものである。
これから何度でも映像でかつての姿を見ることは可能であるが、生きた、血の通った、汗の飛び散る舞台ほど、心躍らせることはできない。あまりに急に、急ぎ足で六方を踏んでいかれたことが、本当に残念でならない。
天地(あめつち)を 渡る花道 飛び六方 みそなわしませ 後の世までも
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