「一の鳥居」をおもう

2012/12/24

先月は、コラムを更新できずに、今年は悔いが残ってしまいました。でも、一年の最後は、締めくくりにふさわしい内容で考えました。

新着情報でもご案内しているように、皆様からのご賛同をいただき、この度「一の鳥居」を改築する運びとなりました。思い起こせば、12年前の9月7日に行われた元の「一の鳥居」の解体工事は、大型クレーン車3台によるかなり大掛かりなものでした。大正4年の瀬戸の里人は、どのような思いで「一の鳥居」を建立したのでしょう。貴重で高価な岡崎産の御影石を使った大普請、どのくらいの御浄財を出し合い、大型重機もないのにいかなる方法で築き上げたのでしょうか。

2本の柱は、基礎工事が特にされているわけではなく、わずかな部分が地中に埋めてあるだけでした。鳥居再上部の「笠木」は、柱と接合されているわけではなく、これまたほんの少しの切れ込みでかませて載せてあるだけでした。当時は、大八車が下を通るくらいで、現代のように車の往来が激しくもなく、静かな境内地だったと思われます。その頃は、それで十分だったのでしょう。

建っている以上、いかなる建造物でも100パーセント倒れないとは限らないのでしょうし、一昨年の東日本大震災の記憶がまだ生々しい今、それだけの建て方の鳥居が傾斜していたことは、万一の場合を考えると、正直なところぞっとします。しかしながら、「笠木」がクレーンに吊り上げられ、地上に降ろされたときは、その大きさに驚きもしましたが、寂しさで涙がこぼれそうでした。「長い間、ありがとう。ご苦労様。」と、鳥居を運んでいくトラックを見送りました。無くなった鳥居の跡は何だか途方もなく大きく空いてしまい、その空虚が哀しかったことを覚えています。

大正、昭和、戦中、戦後、高度経済期、平成に至るまで、時代を経て私たちを見守り続けてきた鳥居は、そこに生きた人々の歴史でもあると思いました。込められた願いを、後世の私たちは、受け止めて引き継がなければなりませんし、それが不思議とDNAとして子々孫々まで身に流れ続いていくのだと感じています。伝統は守るものであり、時代の変遷の中で新しく進化もさせていかなければならないものでもあると思います。

幾百年も昔から深川神社に思いを込めてきてくださった全ての人々のお気持ちの尊さに感謝を込めて、この「一の鳥居」再建を温故知新の精神で事業を成就しなければならないと強く思う年の瀬です。

「一の鳥居」再建事業にあたり皆様からの募金のお願いしております。
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