二人掛けの机

2012/09/22

ツクツクホウシの鳴き声もいつしか聞こえなくなり、ようやく秋らしい涼風が吹き、境内の落ち葉もだんだん目に付くようになりました。

蝉は、年々少なくなっているように思います。その年により、様々な虫が、多かったり、少なかったりします。ある年は、緑コガネムシが大量に発生し、クロガネモチの葉っぱを食い尽くしたり、カメムシが多くて臭いに閉口したりといろいろですが、今年はどうも蜘蛛の巣がやたらと多い気がします。

細い糸を自ら紬だし幾何学模様を織りなす蜘蛛の巣は、芸術作品だと思います。せっかく作りだしたその巣を申し訳ないとは思いつつ、朝に掃っても、翌朝にはまた同じ場所に同じようにできているのには、また感心もします。

幾何学模様を織りなす蜘蛛の巣

蜘蛛の巣を張る場所は、当然、獲物を捕らえやすいところだろうから、複数の蜘蛛が同じところに巣をかけていることも見られます。その場合、小さい蜘蛛と大きな蜘蛛がそれぞれに巣を作っていることが多いです。お互いの領分を侵さずに共存しているのでしょうか。

今は学校の教室の机は一人用のものがほとんどでしょうが、私が小学生だった頃はまだ二人掛けの木製の机を使っていました。木製の机には、ちょっと傷がついたり、いたずら書きもされたり、中には真ん中に線が引かれていたりした机もあったことを覚えています。確かに、線を引かないまでも、ふざけて消しゴムや鉛筆を置いて境界線を作った子をもいました。でも、たいていは、自分の使う分はわきまえていたし、隣がものをはみ出したからといって睨むようなこともなかったです。

マサイ族がシマウマなど草食動物といっしょに暮らす姿をテレビで見たことがあります。それは、彼らが動物の縄張りを侵さないし危害も加えない自然界の一員として認識されているからとのことでした。そもそも自然界を創造したのは人間ではないのだから、それが自然なことでしょう。各々が領分を知り、調和がとれていることにほかならないのでしょう。

自分のものと他人のものを区別することは必要ですが、他人のものを欲しがったり、自分のものだと主張したりすることは、人間の我と欲の何ものでもないと思います。しかし、哀しいかな、人は遥かなる昔からの歴史を紐解いても、その性により争いが絶えることなく続いているのだということを、昨今は思い起こさずにはいられません。

掲載の記事・写 真・図表などの無断転載を禁止します。

著作権は深川神社またはその情報提供者に帰属します。