「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
暑いとはいっても、立秋を過ぎると風が秋の気配を運んできます。蝉たちは、大急ぎで出てきて残りの夏を惜しむかのように精一杯鳴いています。
7月25日に、神社主催の参拝旅行で諏訪大社へ行ってきました。諏訪大社は上社に本宮と前宮、下社に春宮と秋宮の四つのお社から成り立っていますが。今回は、上社本宮へ参拝しました。御本殿がなく山をご神体と仰ぐ上社本宮は、深い緑の中に鎮まり、四方に立つ御柱が囲みたいへん厳かでした。
このHP「瀬戸歳時記」12月でご紹介しているように、諏訪大社上社本宮を手掛けた名工 立川和四郎二代目冨昌は、深川神社の本殿の御造営にも携わっています。個人的には、10年ぐらい前に本宮を参拝したことがありますが、外からお参りするだけではご社殿の彫刻など詳細は見えないので、今回正式参拝をして、初めて重要文化財に指定されているご社殿に上がり冨昌の作品を目の当たりにしたのでした。
一言でいうと「圧巻」。
一刀、一刀が浮かび上がらせた彫刻が、躍動的で、端正で、重厚で迫りきて、鳥肌が立ちました。当神社の彫刻は「立川流にしてはおとなしい」と言われる所以がこの上社本宮を拝しようやく分かりました。年代は、深川神社は、文政6(1823)年に完成で、上社本宮は、天保2年から9(1838)年にかけて造営しているので、郷土にかける思いも加わり、更に作風に円熟味を増し、まさに「立川流」の完成度を高めたのではないでしょうか。
人は一代。
しかし、生み出した作品は千代に八千代に生き続けます。冨昌の込められた魂の瑞々しさをこの身に感じつつ、ご神前に玉ぐしを捧げました。
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