「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
この冬は、朝一番に本殿のお供えの水を替えに行くときは、寒いというより痛いと感じる冷たさが際立ったように思います。冬の間に一度か二度、手水に氷が張るのですが、全国的に最低気温を更新した日の氷の厚さには、びっくりしました。たいていは柄杓の先でコツコツとたたくと、ガシャガシャと割れる薄氷なのですが、今回は、それではびくともせず、柄杓の柄のほうでカンカンとたたいても割れませんでした。厚さ一センチぐらいはありました。それでも、朝日の当たる表側の氷は、既に一部が溶け始めていて、太陽の熱量はやはりすごいと思いました。
雪月花は、日本の美しいもののたとえに挙げられますが、例年の二倍もある雪の降る新潟県など降雪量の多い人々にとっては、雪を美として形容することなどほど遠く、日常生活をしていくのは厳しい自然との闘いであり脅威という以外の何物でもないのでしょう。そんな大雪でなくとも、この辺りでも大型車がスリップして横転する事故があり、瀬戸川沿いの国道248号線の交通事情が大混乱したのはつい先週のことです。
さて、そう述べてきて不謹慎かもしれませんが、年に一度か二度しか見ることが出来ない雪の降る様を眺めるのは楽しいものですし、どんどんと白に覆われていく目の前の風景を見ていると幻想的で不思議な感じがします。そして、夜が明けて誰も歩いていない真っ白な雪の上を一番初めに足跡を残すことに、ちょっとした優越感を抱くのは子供の頃だけでしょうか。そんなとき、ねぎどんは、今もちょっと嬉しくなってしまうのですが…
一月の末に京都の松尾大社に初詣(?)に行ってきました。寒いと定評がある冬の京都ですが、また格別に寒い日でしたし、嵐山の麓にある松尾大社は街中と比べ一段と冷え冷えとしていました。御本殿の裏手にある松尾山に通じる細い道を辿っていくと霊亀の滝があります。そこまで行くと気温が2,3度は下がり空気も変わりました。おもむろに風花が舞い始めました。清新な気が漂います。滝の御祭神、水を司る罔象女神(ミズハノメノカミ)の粋なお取り計らいなのでしょう。御神威を感じ、身も引き締まる冷気の中、心も清々しく洗われるようでした。
元来た道を戻るともう雪は舞っておりませんでした。
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