「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
そう思うには、急に寒くなり、これからいよいよ冬本番かと思う天気になりました。でも、樹木は葉を落としたときから、既にちゃんと春の支度を整え始めているのです。一年の締めくくる段階になって、何を書こうかと毎年うだうだしている自分が恥ずかしい気持ちになります。
やっと今朝出会った言葉に刺激されました。
それは、「心の癖」という言葉です。こういう表現もあるのだな、と感心するとともに、自分自身を瞬間的に振り返りました。ちょうど友達とのやりとりを悲観的に考えているときで、「いや待てよ。これは、本当に悲観的に考えるべきことなのか、私の心の癖がそう思わせているではないか」と思い巡らすと、意外と客観的に問題を捉えられて、結果、自分の思い通りにいかないからしょげている心の有り様に気づきました。
無くて七癖と言われますが、自分の癖はなかなか気づきにくいものです。人から指摘されて、はっとすることは誰しもあるのではないでしょうか。ものの言い方にしても、全く意識せずにその人特有の口癖があります。具体的にわかる癖でさえ、そのような状態ですから、まして目に見えない心の癖とは、なかなか認知することができないものです。
たとえば、この12月の半ばになり、「今年も残りがあと15日しかない」と考えるか、「残りがまだ15日もある」と考えるかです。同じこの文章でも、助詞を一文字入れ替えて「残りがまだ15日はある」とするとまた異なる思考になります。最初の文では、焦りを、二つ目は、気楽さを、三つ目は、冷静さを汲み取ることができるように思います。同じ場面に遭遇してどう思うかが心の癖なのでしょう。一人一人の心の癖、言い換えれば、考え方は、その思想に同意する人が集まり集団となると政党などになると思います。更に、もっと大きく捉えて国全体で捉えると、その国民の特徴的な思考、つまりは、国民性になるとも言えるのではないかと思います。
今年は、どうしても3.11の東日本大震災を外しては語れない一年です。未曾有の天災に遭遇した現代日本人は、この一年どう考えたのでしょうか。昨今では、日本人の道徳意識の低下、若者の自己中心的さ、国の行く末を憂えるような社会性の無さが問題にとりざたされます。確かにそれも事実でしょうが、やっぱり日本人は捨てたものではないといえる数々の善行が、日本の各地で被災した自国を盛り立てています。
厳しかった今年も間もなく終わります。
自分自身の心の在り方に今一度向かい合って、清々しく新しき年に希望をいただき迎えたいものです。
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