若葉への恩返し

2011/11/15

落ち葉の季節、ついつい下ばかり見てほうきを持つ手を動かしている。一息ついてふと上を見れば「まだまだだよ」と、空にそびえるイチョウの木が黄色くなった葉っぱをわさわさとさせ笑っているようだ。今年の落ち葉の色づきは、どうも鈍い。美しく装う前に枯れてしまった感がある。季節の不自然さを一番正直に映し出すのは、これもまた自然だ。

空にそびえるイチョウの木

この秋は、青葉色した中学二年生が週替わりで3人も職場体験にやってきた。受け入れは一人にしているので、それなりに自分の意思をはっきり持って希望しているようだ。そのうちの一人が、神社を選んだ理由をこう答えていた。

「小学生のとき、地元の神社で舞を習ってお祭で踊った。そのとき神社の人たちにお世話になり、たいへんよくしてもらったから、その恩返しがしたかったから」

鶴の恩返し、浦島太郎、傘地蔵、「♪ぼうや よいこだ ねんねしな いまもむかしも…」のまんが日本昔話のテーマ曲が聞こえてくるようで、正直、何となく古語になっているような「恩返し」という言葉が発せられたことに感動した。最近の卒業式では、歌われなくなった「あおげばとうとし」。「ぼうおん」を漢字で書けと言われたらどう書くか、おそらく日常で使われる頻度が多い言葉は「防音」で、「忘恩」はまさに忘れられているように思うのだが、いかかがなものだろうか。

3日間の職場体験は、1日目少し緊張した面持ちでやってくる。様子を見に来る学校の先生の顔を見るとほっとした表情になるのがかわいい。慣れない手つきで雑巾がけや竹箒で掃き掃除を一生懸命にする姿は、新鮮で気持ちがよい。2日目に元気に“出勤”してくれると、ひとまずよかったと思う。3日目に楽しかったと言って帰っていく。そして、その翌日、ああ、もう中学生は来ないのか、とちょっぴりさびしい気がする。未来に向かって伸びていく若木の彼らは、新緑の頃のようにさわやかで、適当に色づいていっている大人たちに、誰しもみんな若葉だったのだと振り返らせる。

人生の節々でお世話になった多くの人々に、直接的には何もお返しできないから、今目の前にいる人に、今できることをする、それが遠回しだけれど恩返しだと思う。職場体験にやってくる中学生たちのお世話をさせていただけるのも、本当はこちらが恩返しをさせてもらっているのだと思う。

そんなわけで、たくさんの色づく葉を毎日、毎日掃かせてもらうのも、暑い夏に木陰と涼を与えてくれた葉っぱへのお礼なんだ、と自分に言い聞かせるねぎどんであります。

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