実り

2011/10/15

世の中には、一番最初に食した人は、どんな人なのか、どういう状況で食べたのか、と考えてしまう食材があります。たとえば、ナマコ。初めて口にしたその人は、勇気のある人だったのか、相当飢えていた人だったのか、もの好きだったのか、どうして食べる気になったのだろうと不思議に思うのはねぎどんだけでしょうか。

銀杏もその一つのように思います。見た目はサクランボ大のかわいらしい黄色の実ですが、あの強烈な匂いがいけません。しかも、食べられる状態に至るまでの道のりが、けっこう過酷です。まず鼻先を突く臭いと闘いながら黄色い果肉を落とし、洗って乾かして、いざ食べる段になっても固い殻を割らなければなりません。しかし、殻から出てきた透き通るヒスイ色の宝石を口に頬張ったとき、ほろ苦さに幸せを感じます。

境内に落ちた銀杏の実

ところで、人生には、その時々に実りともいうべき節目があります。結婚は、二人の愛の実りであり、子どもは、まさに夫婦の結実です。そして、その子どもは、段階的に小さな実りをいくつか経験しながら大人になり、一人の人間として実ることになります。また、結婚の実りといえば、1年の紙婚式から始まり、15年の銅婚式、20年の陶器婚式、25年の銀婚式、50年の金婚式などなどを経て75年の金剛石婚式まであります。

ねぎどんは、ついこの前、神主冥利に尽きる思いをしました。

それは、昭和36年に深川神社で結婚式を挙げられたご夫婦の金婚式のご祈祷をご奉仕したことです。その当時、祖父が執り行った結婚式で契りを交わしたお二人を、50年の年月を介して自分が祝福申しあげ祝詞を奏上する、この連鎖に感激しました。奥様は、少々足にご不自由おありでしたが、それを介助するご主人は本当におやさしくて、こうやって50年の日々の生活を互いに手を携えて暮らしてこられたことだろう、いいご夫婦だなあ、とほのぼのとした気持ちに包まれました。ご祈祷を終えて、「ありがとうございました」と頭を下げられましたが、寧ろ「ご祈祷をさせていただき、ありがとうございました」と私がお礼を言うほうではないかと思いました。

こうしたご参拝者の喜びが、ねぎどんの心に尊い実をたくさん結んでくれます。

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