「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
暑中お見舞い申し上げます。 今年は、梅雨も明けぬうちから、大変暑い日が続いております。
この夏は、未だに蝉の鳴き声が聞こえません。例年ですと夏の気候が固まらないうちに、「おいおい、ちょっと早いよ、セミくん」と声をかけたくなる子が、一匹かニ匹はいるのですが、今年はどうなってしまったのでしょうか。まあ、暑すぎて出てきたくないのも分からないでもないです。
さて、京都は葵祭り、津島神社では天王祭が行なわれ、夏の風物詩となっております。いずれも暑気払いの意味合いが強いお祭です。瀬戸の街角でも、小さなお社の周りに赤提灯をともし、それぞれの町内でお天王さんのお祭をします。町内の安全、辻々の交通安全を祈ってお祀りしてありますが、年に一度の例祭は、疫病が流行る暑い夏に、病むことなく健やかに過ごせますようにと祈願します。現代は、各個人がいろいろな形で遊びに出かける時代ですが、昔は、こうしたお祭りが町内こぞって執り行なう一大行事であり、交流の場であり、夏の夕べに涼みながら楽しく過ごす時間だったことでしょう。一つのお社をお守りするのは、大変なことですが、連綿と続く伝統と受け継ぐ心を絶やさないでほしいと思います。
話は変わりますが、6月にある町工場の解体工事の安全祈願祭に伺ったときのことです。
昔はかなり勢いのある会社だったと聞いています。 解体工事の場合は、やはり、汚れていたり、破損も激しかったりすることが多いのですが、その工場はどれくらい前から使われなくなったのか分かりません。分かりませんが、一歩足を踏み入れたとき、「えっ、本当に取り壊すのかしら」と思いました。それというのも、工場の雰囲気が、ついさっきまで動いていたように思われたのです。物を置こうとすると、確かに埃は気になりましたが、碍子工場ならではの埃です。何人もの職人さんが働いていて、大切に使われていたのだろうな、建物はずっと人と共に生きているのだな、と感じ入りました。
初老の社長さんをはじめ、ご家族皆さんがご参列され、息子さん、お嬢さん方は、子供の頃の遊び場だったのです、と懐かしそうにおっしゃいました。工場内の清祓いは、私についてご家族全員がいっしょに回られて、その場その場で何とも愛おしそうに佇まれました。
壊すときは全くあっけないもので、なくなってしまうと、そこに何があったのか容易に思い出せなくなるものです。しかしながら、そこには必ず人々の想い出があったはずです。その想い出を作ってくれた建物に礼を尽くさなければならないのだと、そして、そこで息づいてきた方々のその気持ちを込めてご奉仕しなければならないと、改めて強く思いました。
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