ゆで金魚

2010/09/20

9月11、12日のせともの祭は、必ず降るという雨がパラリともせずに、しっかりと晴れ今年の異常といわれる暑さで始まり終わりました。街中にやってきた救急車のサイレンを神社にいながらにして何度聞いたことか…。

お祭明けの月曜日、家の駐車場のフェンスの人目につきにくい場所にぶら下がる小さなビニール袋を発見。遠めに見ると何やら液体が入っているようで、近づいてみるとピンク色の細いビニール紐で吊り下げられています。「えっ、これはひょっとして、まさか」といやーなドキドキ感に襲われながら確認すると、それは案の定、金魚の入った袋でした。当然生きているはずもなく、うす赤く濁った水の中に腹を上にして、5,6匹の金魚が浮いていました。

置き忘れたのか、置き去りにされたのか、いつからそこにいたのか、真相は分かりませんが、いずれにしても小さなビニール袋に入れられ、猛烈な暑さの中で果てた哀れな金魚たち。金魚すくいの金魚というのは、屋台ですくうときは元気に逃げ回っていても、家につれて帰るとまあ翌日にはぷかりと浮き上がっている場合が多いものではありますが、熱い日差しにさらされながら水温も上がり死んでしまった金魚たちを思うと、人間の身勝手さに腹立たしくなってきました。

話は変わりますが、貝のお味噌汁はお好きですか。あさりも蜆もおいしいですね。ねぎどんも好きです。でも、お味噌汁を作るある段階が好きではありません。あの貝が、もうこれ以上は「がまんできないよ〜」とばかりに、ぱかっと口を開く瞬間を見ると、どうも罪の意識にさいなまれていけません。ぱかっと口をあいて死んだ貝は、ビニール袋の中でゆだってしまった金魚と似て非なるものだと思います。貝にとっては言い訳になりますし、罪悪感も勝手なものですが、貝は味噌汁を作るという目的で鍋の中に入れられているからです。どんな食材も、食するに適した形になるまでの過程が見えないだけ、自分の手を汚さないだけで、命をいただいています。だから、命をいただく以上、粗末にしないで、できる限りきちんと食べさせていただくのが、差し出してもらった命に対しての礼儀だと思います。

しかし、すくわれた金魚は、救われません。

名古屋でCOP10が開催されるのを前に、生物多様性という言葉が取りざたされています。地球規模の環境や生態系の破壊は、個人の力ではどうすることもできないので、国際的な会議に委ねることになるのでしょう。でも、私たちが常日頃、今からすぐにでもできることは、すぐ隣にいる、目の前にいる命、虫であったり植物であったり動物であったり、その命を大切に思う愛しみの気持ちを持つこと、命の尊厳を忘れないことに限ると思います。

とはいえ、さっきからうるさい蚊をたたこうとしているねぎどんです。

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