「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
朝、本殿の雑巾がけをすると拭いている端からまたしずくのあとが、それは自分の顔から滴り落ちる汗でした。毎年「今年の夏は暑いですね」という会話をしているように思いますが、毎年夏の暑さは上昇しているのでしょうか。
さて、8月12日は台風四号が日本列島を脅かしていきました。
その日は出張のお祓いの仕事があったので、ちょうどこの辺りでは最も雨の激しかった9時半頃に瀬戸川沿いを走っていました。神社の東側に瀬戸川へ合流する細い川があるのですが、二年前から工事が行われ伏せこされてしまいした。その今では見えなくなった川から流れてくる水が瀬戸川にどっと流れ入る様子が窓越しに見えました。濁った水の中を緑色の固まりがすごい勢いで瀬戸川の流れに落ちては消えていきます。あれはきっと川底などに生えているコケ類なのでしょう。でも、流れていっているのはコケだけではないように見えます。視界から見えなくなってしまうとそこに何があるか分からなくなってしまいます。忘れてしまいます。
同じ日の午後、朝とは打って変わって晴れた空の下、春日井方面や多治見方面へ行く道を走ると道路わきの側溝はひどい状態です。ダンプの通り道ですのでふだん埃っぽい道路は泥が流れ寄せられ、また、飲み物の缶、ペットボトル、ゴミの入ったビニール袋が水に押し流されていたるところで溝からあふれ出ています。ふだんからゴミが落ちているとは思いますが、見えている以上にたくさんのゴミが隠れるように捨てられていることが分かります。誰がいつ捨てたのか分からないゴミ、ゴミ、ゴミ。
水。
この透明で清らかな水。
神道では、水には浄化の力があると考えます。イザナギノミコトが禊(みそぎ)されたことより始まり、身を清める、祓い清めることに水は欠かせません。手水をするのも小さな禊です。そんな水は、大水となり私たちに降りかかったとき、それは単なる恐怖だけではなく、怒りでもあるのかもしれません。
ゴミがゴミになる瞬間はいつだろう。そんなことを考えたことはありませんか。
コンビニでおにぎりを買ったとき、衛生的に包まれたおにぎりを食べようと、真ん中のビニールを引っ張り、両側の三角形のビニールの片方を取り、もう片側も取りのぞき、おにぎりが出てきたとき、既にその衛生的なラッピングはゴミになっています。そのビニールはおいしいおにぎりの為にさっきまで必要だったのに、もう要らないのです。
どのゴミだって、初めからゴミではなかった。ゴミにするのは人間です。しかし、最近は、人間もゴミのように捨てられてしまうことがある。
台風一過のはずなのに、すっきりとせず蒸し蒸しと暑い空気の中、うだうだと思いを巡らすねぎどんでした。
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