「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
今月の瀬戸歳時記「深川新樹」の通り、境内は瑞々しい若葉の緑が目に飛び込んできます。よく見ると緑の中には赤い色の葉も混ざっていることにお気づきでしょうか。新緑は、最初から緑ではなく、実は赤い葉なのです。ねぎどんは、なぜ赤いのか疑問だったのですが、たまたま園芸関係のテレビ番組でこのことを説明していました。芽吹いたばかりの葉の葉緑素は、この時期の強い紫外線に耐えられないので、アントシアニンの多い赤い色素で身を守るそうです。つまり、葉っぱの赤ちゃんは、日焼け止めをちゃんとしているというわけです。ちなみにこの現象を「春紅葉」というそうです。
神社にいると美しい自然と共にあることが時折うれしくなり、このような自然のなせる業に感嘆すること多々であります。人間も生れたときは赤子と言いますから、幼いものに赤は共通してますね。
ところで、お誕生日の歌といえば、「ハッピー・バースデ・トゥーユー」が思い浮かぶでしょうが、ねぎどんの卒園した幼稚園は違っていたようです。「ようだ」というのは、残念ながら幼少の記憶に歌詞はなく、同じ園に今通う甥っ子が歌っているのを聞いて知りました。そして、改めて耳にしたその歌詞にいたく感動してしまいました。
きょうは あなたの たんじょうび
あかちゃんになって うまれたひ
おとうさまも おかあさまも いわってくれます
うれしい うれしい
子どもであった自分は、おそらく別段感動して歌ってなかったと思いますし、今この歌詞を読まれた方も、何がそんなに感動的なのかと首をかしげていらっしゃることでしょう。素晴しいと感嘆したのは、「あかちゃんになってうまれた」という表現です。夏になる、大きくなる、平和になる、「なる」という語は、状態の変化を表します。赤ちゃんが生れたのではなく、生れて赤ちゃんになったのでもなく、何かが赤ちゃんになって生れ出でたのです。さて、その生命は何処からくるのでしょう。初めに御霊ありきだと思います。
先日ある葬儀の場で、ご住職が話されました。
身の回りには様々なものがあり、どんなものでも使えなくなるときが必ず来る、そのとき我々は「寿命だ」と言う。「寿命」と書くが、これは「受命」と表すほうが本当であろう。我々はこの世に生かされている―。
宗教の教理はそれぞれありますが、人が人であることにかわりないと思います。
人は、赤ちゃんから子供になる。
子供は少年、少女になる。
やがて、大人になる。
人と人の間で人間になる。
そして、最期は、仏になる? 神になる?
一生は、メタモルフォーゼなのかもしれません。
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