「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
境内の桜のつぼみも、あり目に見えて膨らんできています。ピンク色が顔を出し、開花も間もないことでしょう。花を愛で、塩漬けにして桜湯を味わい、葉でくるんだ桜餅をほおばって楽しみます。桜に対する情が深い日本人ならではでありましょうか。
ところで、「サイエンスリポート」(3月9日・中日新聞)の記事を読んで「えーっ、そんなもんまで食べるの?!」とちょっと驚きました。
ミドリムシクッキー、ミドリムシパン。ミドリムシとは、中学校の理科の教科書に載っていた覚えのあのミドリムシ。なんでもビタミン、ミネラル、アミノ酸に富み、乾燥して粉末にすれば運ぶのも簡単で、更に脂質が多いので燃料にもなるそうです。期待の星のミドリムシは、単細胞だと馬鹿にするなよと息巻いているでしょうか。それとも受難の時代の到来におびえているでしょうか。
先日「鹿の肉食べませんか。小鹿ですよ。僕が必死の思いでさばいたんです」と友人に言われました。小鹿と聞いて、私の脳裏をくりんくりんのお目目をした小鹿のバンビが駆け抜けて、即答で辞退してしまいました。
猟友会の人が撃ったのをいただいたそうで、彼も生れて初めて鹿の皮を剥ぎ、解体したそうです。さすがに血抜きをして頭だけは落としてあったそうですが、魚とは違い、哺乳類は心が痛み、自分でその場では食べる気にならないと言っていました。
そういえば、モンゴルへ行ったときに、確かにパオの前にいた子羊がいなくなり、隣の客たちの食卓に小さな丸焼きが運ばれてきたときは、正直言って衝撃でした。でも、遊牧民の大切な、大切な家畜の一番おいしい子を饗することが、最大のおもてなしの心であり、最高の料理であるわけです。
私たちが普段食べている肉も、元は血の通った動物たちで、ただ手を汚していないだけとう違いです。だから命をいただいていると感じない。だから痛みを感じない。
マグロ消費国日本は、黒マグロが、シーラカンス、ジャイアントパンダ、トラの仲間に入るかどうか、目下行われている会議の行方に気が気でないようです。人間は地球上で一番の雑食で、しかも容赦ない飽食の生物であることに間違いないでしょう。
だからどうすればよいと提案ができるわけもないのですが、せめて毎日食することに、命をいただくことに、そして、与えて下さる神様に感謝していきたいと思うばかりです。
たなつもの もものきぐさも あまてらす ひのおおかみの めぐみえてこそ
あさよいに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと
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