「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
瀬戸市では2月6日から、お雛めぐりイベントが始まりました。当神社の新社務所にも立派な御殿雛(昭和30年代)が展示されています。そして、御殿雛を護衛するかのように深川小学校三年生の作った陶製のお雛さまたちが取り囲み、にぎやかさを添えています=写真下。お雛様の歌には「おだいりさまとおひなさま ふたりならんで すましがお」と歌われていますが、子供たちの作った作品は、ねずみのお内裏様もいればうさぎのお雛様もいるし、どれもみんな「ひょうげもの」。かわいらしく愛嬌があります。今回の題をご覧になり、「ひょうげもの」???と思われたでしょう。「ひょうげもの」は、ひょうきんものの古語です。
ところで、当神社には、織部灯篭(加藤武右衛門春宇作 文化4年・1807年)があり、瀬戸市の有形文化財に指定されています。これは、古田織部が考案した灯篭の形で、一番下の土台の部分を取り払うことにより、胴にあたるさおの部分を庭の景観に合わせて埋め込む自在性を持たせた意匠だそうです。
その時代においては実に前衛的だったことでしょうが、ねぎどんは織部灯篭を見るたびに、どうしても串に刺した○、△、□のおでんが思い浮かんでしかたないのです。歴史に名を残す人物には甚だ失礼だと思っていたのですが、2月10日放送のNHK「歴史秘話ヒストリア」で古田織部を取り上げ、「ひょうきんに命がけ〜美の革命〜」と紹介していました。「ひょうげもの」と評される古田織部という人なら、「なるほど、おでんか」と許してくれそうな気がしました。
凡人は成長するにつれて、自由な発想から次第に形にはまり縛られるようになると思います。いつの時代も後世にまで残る一つの時代の象徴のような作風を築くことができる非凡な人は、その時代ではおよそ審美眼にかからないような観点からものを見られる心の解き放たれた人であることが必須条件なのだと思います。利休好みといわれる端正な形が美しさの主流であるにもかかわらず、キズや歪みにすら美意識を見出した古田織部のように。
ひょうげもののお雛様が、稚拙ではあるけれどのびのびとして見る人に語りかけてくるものがあるのは、誰もがみな小さな芸術家だからでしょう。
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