「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
新しい年も始まり、早一ヶ月。神社も節分祭が終ると一段落です。今年もねぎどんをどうぞよろしくお願いいたします。
実は、元旦の午後二時過ぎ、お参りにいらしたお客様が倒れられました。ねぎどんはちょうどご祈祷中で、どうもAED(自動体外式除細動器)の保管箱のアラームに似た音がしたけど、気のせい?と思いきや、ご祈祷が終わったところに、宮司が「たいへんだ!」とやってきました。
まさかの為の正に「御守」にとご寄付いただき設置したAEDを、まさか使う機会があろうとは、それもわずか半年ばかり過ぎたときに…
運び込まれたお客様のもとに私が駆けつけたときは、既にAEDを装着して使用せんとするところでした。たまたま初詣いらしていた非番の救急隊員の方とAED使用経験のある男性がいらっしゃり、私がご祈祷をした方がなんと歯科医で手助けをして下さり、とても運のよいことでした。
救急車の到着も早かったのですが、搬送されるときはまだ意識がなく、本当に心配でした。夕方になり一命を取り留められことをご家族からお聞きしたときは、張り詰めていたものがふっとほぐれる気がしました。深川神社の大神様の御神徳のおかげであると感謝いたしました。
そこで、今年最初のコラムは、このお客様を救われ、またAEDの普及にご尽力なさっていらっしゃる公立陶生病院副院長・味岡正純先生にご寄稿いただきました。
2009年1月26日 公立陶生病院循環器科 味岡正純
1.陶生病院救急外来
陶生病院には1年を通して24時間体制で救急患者に対応する「ER」、つまり救急外来が設置されているのをご存知でしょうか。ここには瀬戸市の救急車のおおよそ9割、近隣の市町からのものも含めて年間6000台から7000台の救急車が、様々な患者を搬送してきます。救急車だけで無く、家族に連れられて受診するお子さんや、自分からいらっしゃる方も含めると、なんと1年に2万人以上の救急患者が治療されています。さらにこの救急外来には、もう一つ、若い医師が初期診療を身につける教育の場としての重要な役割があります。毎年16人の若い医師が、陶生病院に赴任してきます。大学教育だけでは身につかない実地臨床の体験を、この救急外来の診療から会得して、彼らは一人前の医師に育ってゆくのです。もちろん重症患者になると、専門医の対応が必要です。彼らからの連絡で、いつでの駆けつける『当番医』が、各科で決められています。わが循環器科には10名のスタッフがいます。週末といえば研究会などで縛られることが多い私は、日ごろ当番医を免除されておりますので、せめて1月1日の当番医を引き受けることにしています。
2.2009年の初仕事
そんなわけで、2009年も私の仕事始めは1月1日からになりました。まず朝の9時過ぎに重症の心不全の患者の治療で呼ばれて、その男性に心肺補助装置を装着して集中治療室に収容したところへ、救急外来から二度目の出動要請が舞い込みました。11時過ぎであったと思います。救急外来に駆けつけると、救急隊員と若い数人の救急外来の医師が男性患者の治療にあたっていました。初詣の最中に心肺停止に陥った患者とのこと。現場でのAED使用で、心拍再開したが、意識はまだ戻っていないとの報告でした。その報告を聞いて、「なんとしても助けよう」と思いながら心カテ室での治療を開始しました。
3.心肺停止とAED
私とAEDの出会いについて触れたいと思います。AEDというのは、セントレアや駅を始め、最近では多くの方が集まるところには、設置されているのを目にするようになった、心肺停止患者の不整脈を止める、救命用器具です。「全自動体外式除細動器]の英語の頭文字からAEDと呼ばれています。2000年頃、循環器科の部長と救急外来の責任者を兼務していた私は、アメリカ心臓病協会(AHA)が全世界の心臓病研究の権威や救急医療の専門化を動員して、いわば世界標準の心肺蘇生術のガイドラインを構築したことを知りました。それまでの救急外来の現場では、心肺停止患者が搬送されて来たとき、担当する医師ごとに、使用する薬剤も蘇生時の手技の手順もまちまちだったのです。そして山梨大学の救急部で、その新しい救命処置の講習会が開催されるのを聞いて、病院の有志数名とそれに参加したのです。二日間の講習会でみっちりトレーニングを受けたのが、今やどこの救急の現場でも行なわれている1次救命処置(BLS)と2次救命処置(ACLS)でした。科学的な根拠に裏付けられた新しい手法に、目からうろこが取れる思いで、陶生病院に帰った私は、その3ヵ月後、陶生病院に山梨大学から指導教官に来ていただき、はじめて心肺蘇生術の講習会を開きました。病院内から救急隊員へ、そして一般市民にと今やその輪は広がり続けています。この新しいガイドラインで最も注目されたのが、AEDを用いた非医療者による早期除細動の提唱でした。当時の日本では、病院外で心肺停止に陥ったときの救命率は、わずか2%程度でした。一方、AEDが社会に行き渡り、市民による心肺蘇生術が定着したアメリカのシアトルでは、それが30%以上に上ると伝えられていたのです。心肺停止とは言っても、すぐに心臓は止まってしまうのではなく、多くの場合、数分間は心室細動と呼ばれる不整脈の状態が続くので、この間にAEDで除細動、つまり電気ショックを行なうと、心拍を取り戻すことができるのです。陶生病院の中でも直ちにこの電気ショックが行なえる部署は限られていて、その意味では、陶生病院の中の安全性はシアトルに劣るのかもしれないと思いました。院長にお願いして、院内の17箇所にAEDを設置してもらったのは、その翌年です。この後、周辺の医師会の先生方に働きかけて、瀬戸旭医師会、名古屋市の守山区医師会、長久手町の名古屋東医師会で、講演会や講習会を開催して、AEDの設置を呼びかけました。これがきっかけとなって、これらの地域の医院にはAEDが設置されています。このあと、一般市民への心肺蘇生術の啓蒙活動にも、乗り出しました。小学校に出向いたこともありましたし、公民館にも出向きました。やすらぎ会館やロータリークラブで講演させていただいたこともあります。2005年の愛知万博でのAEDの活躍も大きな後押しとなって、AEDと心配蘇生術は確実に市民権を獲得していったと思います。毎年、陶生病院には100名を越す心肺停止患者が救急搬送されてきます。2000年以前には、その中で社会復帰を果たせる方はほとんどいらっしゃいませんでした。現在は、年間15名ほどの方がICD(体内埋め込み型の除細動器のことで、不整脈が起こったときに、自動的に作動するコンパクトなAEDを体に埋め込んだ状態です)を植え込んで、社会復帰されるようになっています。
4.Kさんはどのように救命されたか
心肺停止に陥った方が救命されるには、脳が取り返しのつかないダメージを受ける数分以内に確実な心臓マッサージが開始されること、心肺停止の原因となった不整脈が除細動器かAEDで停止されること、そして救急通報によって高度な医療が行なえる病院に直ちに搬送される、いわゆる「救命の連鎖」が確実に行なわれることが必要です。お正月の元旦に深川神社の初詣中に倒れたKさんの場合も、これらの条件が全て満たされたからこそ救命されたのです。ちょうど初詣に来ていた救急隊員と歯科医師の方たちが、直ちに心臓マッサージを開始し、境内に設置されていたAEDが届くとすぐに作動させてくれたのです。救急車が到着した時点では、心臓は動き出していたようです。陶生病院で調べると、Kさんの心臓の血管は、3本の内なんと2本が完全に閉塞していました。いわばいつ心臓が不整脈で停止してもおかしくない状態であったわけです。運命とは不思議なものだと思います。もしKさんが、自宅で不整脈を起していたら、きっと助かる可能性は低かったに違いありません。初詣に出向かれたのが、深川神社ではなくほかの神社であったら事態は変わっていたかもしれません。何百万人も初詣客が押し寄せるような大きな神社ならいざ知らず、地方の神社仏閣でAEDを、それも境内に設置していただいているところは他にあるのでしょうか。Kさんにとって、今年の初詣は本当にご利益のあるおまいりになったわけです。
5.予防はできたか?動脈硬化が見える時代の到来
Kさんは入院後、閉塞していた2本の冠状動脈を、2度のカテーテル治療で再開通させることができ、現在リハビリテーションと退院に向けた治療が続けられています。若い人ならともかく、高齢のKさんにとって、ひとたび心肺停止が起こると、たとえ救命されても社会復帰までの道のりは長いのです。何事も起こってからの対応も大切ですが、それ以上に、起こらないように事前の対策ができれば、より望ましいのはいうまでもありません。Kさんに起こった事態は、冠状動脈の動脈硬化が原因であり、70歳を超えた方なら男女を問わず、誰に起こっても不思議ではないことです。まして高血圧や高脂血症、糖尿病、喫煙などの、動脈硬化を推し進めることが知られている『危険因子』を持ち合わせている方ならなおさらです。ところが、この動脈硬化は末期的状態になって、脳梗塞や心筋梗塞、心肺停止といった取り返しのつかないことが起こるまで、無症状に経過しますから、患者さんがご自分の動脈硬化の進み具合を知る手段はありませんでした。一昨年に陶生病院には冠状動脈が見える高性能のCT撮影装置が備えられました。この装置を使って、現在、我々は無症状の方の動脈硬化の程度をどんどん調べています。同じ危険因子を備えていても、実際の動脈硬化の程度は非常に個人差があることも分かってきました。全ての方に同じ厳重な管理がいるのではなさそうなのです。CTで動脈硬化が無ければ,安心できます。CTで動脈硬化がしっかり確認できた方たちは、危険性の高いグループであり、この方たちには、コレステロールや血圧の管理を厳重に受けていただくことが始まっています。Kさんは、昨年末には活動時に胸苦しさが出現していたそうです。もし事前に我々にかかっていらっしゃったなら、Kさんの入院期間は、ほんの2〜3日ですんだはずです。ご自分の動脈硬化の程度を知ることは、無駄な治療を避け、必要な治療をより適切に受けることにつながります。そんな時代がすでに始まっています。
追記
2009年2月16日
先の原稿をお送りして、ホームページに掲載していただいた後、Kさんは急変され、残念ながら亡くなられました。多くの方のご尽力で意識までしっかり回復され、一般病棟での治療が開始された後であっただけに、本当に無念です。
高齢になられた方が一度重症の疾患で倒れられますと、社会復帰していただくまでには何十にも待ち構える高いハードルを越えていただかねばならず、我々が精一杯サポートしているつもりであっても、支える指の間をすり抜けるようにして事態が期待しない方向に進んでゆくことが多いのです。高齢者に対しては、少しでも早めの治療が望まれますし、治療より予防だと思います。
後になって、Kさんが様々な事情から、自覚症状が悪化していてもなかなか検査や治療に本気で取り組むお気持ちにはなりにくい状況があったようなお話も耳にいたしました。そうであったにしましても、現在の狭心症の検査や治療が、手遅れにさえなる前であったなら、いかに簡単でスピーディーに、そして苦痛無に受けることができるか、ご本人はご存じなかっただけに、一度倒れられた後の困難な治療とリハビリに立ち向かっていらっしゃるKさんの様子を横で見てきた私には、そのギャップを考えますと、なぜ早期に来ていただけなかったのかと残念な気持ちを感じてしまうのです。
一般市民の方への医療情報提供には、これまでにも積極的に活動してきたつもりでありますが、これからもさらに積極的に活動してゆかねばと考えております。
最後にKさんのご冥福を心からお祈りいたします。
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