今年のこの一冊

2008/12/30

学生の頃にテスト週間で、勉強しなきゃと思えば思うほど、それとは裏腹に机の引き出しの中を片付けたり、積んである本(もちろん勉強以外!)をぺらぺらのぞいたり、どうでもいいことにばかりに気がいってしまい、結局するべき勉強は一向に進まず、ちょうど砂時計の砂が音もなく滑り落ちるようにするすると時間のみが経っていく経験は誰しもおありではないでしょうか。今年もいよいよ大晦日が迫り、数えると3日後です。あれもこれもしてない、してないことばかりが浮かんできて、今年最後のコラムも書き上げねば…と焦っているのですが、頭の中がまとまらなくてまた焦ります。毎年同じことをしている泥縄状態の自分が情けないです。明日は大晦日。

さて、唐突ですが、心とはなんぞや。常に考えるテーマです。これをついて、今年はとても興味深い本を読みました。それは、「第三の脳」(傳田光洋著・朝日出版社)です。

もし心はどこにあるかと尋ねられたら、そこにあるわけではないけれども、胸、心臓のあたりに手をやりたくなるのではないかと思います。恋をしたときは、確かに胸がきゅんと締め付けられるような感じを覚えます。胸で実際に思考しているわけではなく、脳から神経細胞に伝達を送り、その反応が身体のそれぞれの部分で反応するわけですが、この著書では、脳だけが感じたり考えたりするのではなく、科学的な見地から表皮は表皮で独立して感じ、考えていると訴えています。表皮では、イオンを内外へ送る電位反応が繰り返されていること、脳と表皮は受精卵から身体ができる過程をみると細胞的には生まれが同じであること、刺激を与えられた皮膚は脳を通さずとも反応することなど、少々乱暴に本の内容を一言でいうとすれば、「心は皮膚にもある」という内容です。

この考えには、たいへん新鮮な驚きを覚えました。でも、確かにざらざらごわごわした肌着よりも、ふわふわと柔らかな肌触りのもののほうが着心地がいいです。肌が気持ちいいことは、心も気持ちいいと感じることです。本を読み進めるうちに、人の体は皮膚で覆われていて、外界と接するのはこの表皮であることを考えると、非常によく納得できました。18世紀のプロシアの王、フレデリック二世が、生まれたての赤ん坊にミルクだけ与え、人間の接触を禁じる実験を行ったら、赤ん坊は皆死んでしまったという例を引用しています。よくもまあそんな恐ろしい実験をしたものですが、人間にはいかに人との触れ合いが大切であるかが分かります。人はミルクだけでは育たない、人のぬくもり、肌を通して伝わる心がなければ育たないのは、赤ちゃんだけではなく大人になっても同じなのでしょう。

今年の締めくくりはどうも肌寒いニュースばかりで心も寒くなります。来年は心がぬくぬくとするような良い年になることを祈りたいです。

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