「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
この秋はどこかへ紅葉狩りにお出かけになったでしょうか。
この辺りでも、「あれっどうしてこの道、こんなに渋滞しているのかな」という現象が、品野方面へ向かう道で見られました。はじめはピンとこなかったのですが、思い巡らせば、そういえば岩屋堂公園の紅葉か…と。地元の方の手作りのライトアップがテレビでも紹介されて足を運ぶ人が多くなったようです。ねぎどんの母も行ってきたのですが、車が駐車場からあふれるほどびっしりで、人もぞろぞろ歩き、なかなかのにぎわいだったようです。帰ってきて一言「やっぱり神社で静かに見るほうがいいわ」
確かに今年は、台風が来ないので木々もしっかり茂り、紅葉する時期に雨が少なく、また冷ややかな気温の変化が急にやってきて、寒暖の差がはっきりしていたので本当に美しくきりっと仕上がったと思います。だらだらと生ぬるい暖かさの日や寒くなるでもない日が続いた年は、木々の葉もくすんだような色になります。人間も、メリハリがある生活のほうが気も身も引き締まるので、何事も同じだなと思いました。今は、陶彦社のもみじがこの秋を締めくくる艶やかな姿を見せてくれています。手にホウキさえ持っていなければ、うっとりと見とれてしまうほどです。
モミジといえば、手の形に似てますね…無理やりですが、今回は拍手についてです。拍手を「柏手(かしわで)」とも言いますが、これは、「拍」の字を「柏」に誤ったという説がありますが、その由縁は定かではないそうです。神道の一般的なお参りの作法は、二回礼をして、二回手をたたき、一回礼をします。パンパンと手をたたく音は、神社にはお決まりのものですが、たまに「ややっ、あの人回の数が多くない?」と思ったことはありませんか。参拝者の中には、二回以上手をたたく方がいらっしゃいます。出雲大社、宇佐八幡系は四回、伊勢神宮は八回、拍手をします。ですから、その方の信仰によっては、二回以上の拍手をする方もいらっしゃるわけです。
また私たち神主は、食事をする前や盃を受けるとき、礼手(らいしゅ)といって一回ポンと手をたたいてからいただきます。それから、忍手(しのびて)は、神式の葬儀のときに行います。お参りの二礼ニ拍手一礼の作法は同じでも、拍手の音を立てません。これは手をたたくことができないほど、悲しいという心の表します。その忍手といえば、いつも話題に上る話があります。ねぎどんが、三つぐらいのとき曾祖母のお葬式に行ったときのことです。それは仏式の葬儀だったのですが、私の番がきた、待ってました!とばかりに、ご霊前で手をパンパンとたたいて、「やっぱり神社の子やなあ〜」とみんなが言ったそうです。
なぜ拍手をするのか尋ねられても、正しい答えは分かりません。神様の気を引くためだとかいうのを聞いたこともあります。一理ありそうですが、首も傾げます。元々は貴人に対しての礼儀作法であったようですから、神様への儀礼的なものと考えてよいのではないかと思います。ところで、宮司はあるとき、神前でもなく、そのへんで思い出したように唐突に一人でパンパンと手を打つことがあります。手持ち無沙汰だからなのか、習慣なのか、あるいは神と交信しているのか。神社できちんとユニフォーム姿ならまだしも、平服では怪しい人になるので、ちょっと心配です。
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