ねぎどんの夏休み

2008/07/31

酷暑お見舞い申しあげます。

連日の正にうだるような暑さ。アスファルトの街中に比べたら、神社は木があり風が渡るだけまだ涼しいのでしょうが、それでも暑いです。毎日35〜37度の気温とは、数字を見ただけで熱が出そうになります。しかし、所変われば25度でも、「暑い!暑い!」といっている国もあるわけで、そんな夏を惜しむフィンランドにちょっと立ち寄ってきました。

私が滞在したときは、朝は曇りで風がびゅんびゅんと吹き、日本的気候の感覚からは既に初秋を思わせ、風を通さない薄手のジャンパーが必要でした。Tシャツの上に長袖のシャツ、そして、ジャンパーを羽織った私の横をランニング姿のフィンランド人が通る。体感温度の違いですね。彼らにとっては、この涼しさは、「夏」なのです。おまけに小雨に降られたときには、私は3月下旬という冷たさを感じたのですが、午後になるとだんだん晴れてきて、上着は要らなくなりリュックにしまいこみました。日は長く、午後9時半頃まで明るい。やはり「夏」なのです。最近は、地球温暖化で日本の気候も少しずれてきているようですが、それでも一応四季がはっきりしています。大陸の気候は、一日の中で春夏秋、ややもすると冬まで体験できてしまう。日本人にはどこも変動が激しすぎると思います。

フィンランドに入ったとたんに、私は自分が小人になったように感じました。とにかく「でかい」んです。女性でも大きくて、まるでバレーボールかバスケットボール選手にぐるりと囲まれたようで、視界も開けず少々息苦しい感じです。私が訪ねたフィンランド人は、16歳のご長男が日本へ行ったときの写真を指差し「息子以外は、みんな椅子にでも座っているのかとおもったわ。なんて小さいのでしょう、日本の人は」と、ころころとお笑いになりました。

フィンランドというとムーミンとか、北欧三国とか、金髪で瞳の薄い美しい顔立ちとかをイメージしていたのですが、正しいのはムーミンだけ。北欧三国は、ノルウェー、スウェーデン、デンマークで、仲間に入らない。フィンランドは欧州ではなく、日本人が言うところヨーロッパは「セントラル ヨーロッパ」と彼らは呼ぶそうです。また、「カッコいいのは断然スウェーデン人だ」とフィンランド在住の日本人の知人は言います。「掃除のお兄ちゃんでも、バスの運転手でも王子様に見える」と目を輝かせていました。

写真でも、もう一つのイメージ、森と湖の国フィンランドは本当にそのとおりです。首都のヘルシンキからユバスキュラという街まで電車で行きました。時速約160キロ、片道約2時間半で運賃は50ユーロです。首都の街を走り去るとすぐに白樺の林、森、湖、なだらかな緑のベールの大地が車窓に広がります。そして、ところどころにコテージが見えます。心地よい電車のゆれにうとうとして再び目を開くと、また白樺の林、森、湖、なだらかな緑のベールの大地。この繰り返しがずっと続きます。

フィンランド人の短い夏の楽しみは、何といっても森のコテージへ行き、自然の中で暮らすことだそうです。今でも電気や水道がないコテージもあるそうで、水汲み、まき割り、キノコ採りなどを本当に楽しむことが心安らぐひと時とのことです。耐えられないような暑さと湿度の中、汗を流してあくせく働く日本人には、羨ましいというよりも考えられないような優雅な夏の過ごし方です。

以前フィンランドに関するテレビ番組を見たとき、たいへん興味を引かれたことがあります。木を切る際、木の周りを確か三回ぐらい回り、木の神様にお祈りをし、他へ移っていただいてから伐採するという儀式です。私共もやむを得ず樹木を伐採する際に、ご祈祷を頼まれることがあります。それは、木には木の神様が宿るというアニミズム的信仰が日本人の心にあるからです。フィンランドの宗教は現在、プロテスタントですが、元々はアニミズム的信仰であったそうです。

今回は残念ながらフィンランドの誇る森の中を体感する時間がとれませんでしたが、ぜひとも次の機会に神様を身近に感じる森の生活を体験してみたいと思います。風土は人の心を育みます。フィンランドと日本は、かけ離れた国ですが、共通する人と自然との共存を感じることができる国のようでした。

それでは、最後にフィンランド語を一つ紹介します。

 ”キートス”  (kitos)

 大事な言葉です。 「ありがとう」

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