人の命

2008/06/08

AED設置場所6月5日に瀬戸北ロータリークラブ(鈴木晴季会長)よりこの深川地区にAED(自動体外式除細動器)が寄贈され、その設置場所が深川神社の社務所入り口になりました=写真右。

それに伴い救命講習会を同日に開催しました=写真下。瀬戸市消防本部の2名の職員の指導のもと、ビデオを見ながら人工呼吸、心臓マッサージ、AED使用の実技を行いました。4時間という長い講習でしたが、参加者(18名)は熱心に、そして、真剣に受講されていました。

AED講習の様子

緊急時に冷静に判断して行動することはなかなか難しいと思います。AEDという名前や機械の設置場所は知っていても、触れたこともない機器に、人の生死がかかわる状況でそのボタンを押すことは、やはり非常に勇気と決断力のいることと思います。もちろん、AEDが必要とされる事態がないに越したことはありませんが、万が一遭遇したときに、講習会での救命活動の心得があり、練習ではあるけれども操作したことがあるというだけで、その場での落ち着きと対応は異なると思います。今後もより多くの方に救命講習会受けていただきたいです。

それにしても昨今は、救われる命よりも、なおざりにされる命の多いことに胸が痛みます。全く利害関係のない人に、利己的でともすれば気分しだいで殺されてしまうことに薄ら寒さを覚えます。世の中どうなっているのでしょう。

講習ビデオの初めのほうには、2005年の愛知万博(愛・地球博)会場で、周囲の人たちの迅速で的確なAEDによる救命活動のおかげで九死に一生を得た男性の体験談がありました。その方は、その場に居合わせた学生たちが医学生であったことも幸いだったのでしょうが、やはり、その善意ある行動と勇気に感心します。

人は、人の命を救うこともできるが、人は、人の命を奪うこともできる。

包丁は、料理を作る便利な道具だが、人を刺し殺す凶器にもなりうる。

道具を使うのは、人。

人の心のありかたが問われる時代なのでしょう。

話は変わりますが、先日、ルバング島から奇跡の生還をされた小野田寛郎氏の奥様、町枝さんの「家族の絆〜母の祈り〜」という演題の講演を拝聴しました。小野田寛郎氏は、特殊任務を背負い終戦を知らないまま30年間ルバング島のジャングルに身を潜め、任務解除命令を受けた53歳のとき帰国されました。

ジャングルで生き抜いた小野田氏の精神力と生命力の強さに敬服します。そして、それ以上に息子さんの生存を信じて、祈り続け30年間ずっと陰膳を供え続けた小野田さんのお母様の話に心打たれました。一度は打ち切られたルバング島の捜索も二回目を行うことになった発端は、一人街頭でビラを配る母の姿があったからだったそうです。

かげぜんも はてとなりけり うめのはな
この句をお母様が詠んだそうです。

生きていることを信じて、祈り、待ち続ける人がいることは、決して過去の出来事ではないのだと改めて考えさせられました。他国に家族を拉致され帰国を待っている方が、国内でも未解決のままの行方不明事件で子供を奪われたままの方がいます。

この前、アフリカ開発会議が横浜で行われました。アフリカでは毎日3000人の子が命を落とし、6人に1人が5歳を迎えられない。

人は、命のリレーと言われます。一人の人間が存在するために、どれほどたくさんの人の命つながりがあったことか。今の自分を10代さかのぼると、1000人を越えるそうです。ねぎどんも、2×2×2×2×、、、、、、、、、と計算しました。

人一人の命は、人一人の命ではない。いろんな意味で助かる命がたくさんあることを願います。

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