「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
2月1日から3日間、社務所でこま犬展を開催しました。作者は、深川小学校の5年生児童20名です。学校の校章には、こま犬のデザインがあしらわれています。
今年度、5年生はこま犬をテーマに様々な方向から学習したようです。もちろん、当神社の重要文化財のこま犬(藤四郎作)の拝観にも訪れました。その折には、宮司にこま犬についてのインタビューも行い、子供たちの質問はおよそ大人の思いつかないようなこともあり、宮司はなかなか苦戦しておりました。そして、1年間の学習の集大成として、自分たちで焼き物のこま犬を作ったそうです。瀬戸の小学校ではどこでも粘土細工はしますが、焼いてこま犬を作った学校は深川小学校だけでしょう、と教頭先生もおっしゃっていました。
ページが重くなるので全ての作品を掲載できないのが残念ですが、一部をご紹介しますのでどうぞご覧下さい。
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どの作品も本当に個性的で創造的。たいへん豊かな表情のこま犬が出来上がっています。ねぎどんの母が、作品の横に作者の子供の顔写真を添えると面白かったかもしれない、と言ってましたが、確かにその通りだったかもしれません。作り手と見比べたら、作品の味わいも一味違っていたでしょう。芸術家の作品でもどこか作者に似たものが多いようですが、やはり、自分の顔には一番愛着があり、一番よく知ったものだからでしょうか。
ねぎどんも、いつも藤四郎作のこま犬の顔を見るとき、藤四郎さんという方は、一体どんな人物だったのだろうかと思いをはせます。一匹残った吽形のこま犬は、少し小首をかしげ、くりんとした目はちょっと寄り目っぽく、鼻は鼻孔がやや開き、愛嬌があり、かつ、どっしりとした存在感がある。親しみがわく顔立ちの中にも威厳を備えている。瀬戸村の人気者だったのでしょうか。
ざっと七百年近くの年月を経て目の前にいるこま犬が語りかけてくれます。次世代の藤四郎が、そこにいるかもしれないよ…と。
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