「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
平成20年も始まり、既に10日以上たちました。遅ればせながら新年明けまして、いや、明けてしまっておめでとうございます。今年もまた、ねぎどんの拙文にお付き合い下さい。
毎年この新年第一号を、カッコよく元旦にアップできたらと思うのですが、なかなかどうしてどうして、怒涛のように年末は過ぎてしまいまして、気がついたら元旦。同じことを繰り返す進歩のない自分に辟易するばかりです。よし、来年こそは!などと言ったら、節分を前にした鬼が大笑いすることでしょう。
さて、今年のお正月から新しい御守を頒布しました。それは、「ありがとう御守」です。これは皆様の心にかなったのか、なかなか評判がよく、大勢の方が受けていかれました。用意した数量は残すところもう50体を切っています。特に根付紐の赤い方は、5日の初ゑびすの時点で既に全てなくなっていました。
御守の台紙にも書かれていますが、私たち日本人は、古来より八百万の神たちと共に暮らしてきました。米粒を残すと目がつぶれる、お百姓さんに申し訳ないと、作ってくれた方に感謝し、お米の一粒、一粒まで残さず食べるように言われたものです。米を育てる人々は、土、水、太陽、田の神に感謝し、五穀豊穣を願うお祭をしました。私たちの生活は、目の前にあるものの背景を知ることが難しくなっています。自然ともっと直結していたときは、神たちの存在ももっと身近に感じたとも言えるでしょう。
ところで、年末にエベレスト登山を取材した番組を見ました。とても普通では見ることができない標高何千メートルの世界を目の当たりにして、その自然の造形の美しさに見入っていました。実際に体感できたらどんなに素晴しいかと思うのですが、その前に高山病で倒れるか・・・山歩きもしてないくせに・・・それ以前に体力がないから・・・絵に描いた餅。楽に見られる代わりに、酸素の薄い気の遠くなるような苦労をした果てに肉眼で見る本当の感動は得られません。
テレビ画面でぬくぬくと見られるこの幸せは、科学文明の賜物であります。一方、画面の中で見たチベットの人々は、厳しい自然環境の中で生活をしていて、生活できることを感謝し祈りをささげています。そこにも幸せがあります。祈りをささげる仏塔には、五色の布を連ねた旗が風にはためきます。青は空、白は雲、緑は水、黄は土、赤は火。これらと共に暮らしがあります。
便利さで享受できるものと失うものがあり、そのせいで地球が地球規模で変化して、地球人の生活を脅かしていることになっています。しかし、科学の進歩や文明の発展を止めてしまえば、失ったものが元に戻る問題ではなく、培ってきた知恵を生かすことこそが必要とされています。でも、それは非凡な科学者たちに委ねることにしましょう。また、私たちが、チベットの人たちと同じように土を耕し質素に生活しようと言っても、それも非現実的な話でしょう。では、できることを足元から考えると、お米を一粒も残さず食べる、のようにふだんの生活にありがたさを感じることではないでしょうか。基本の基は、やはり「ありがとう」。そんな思いを抱く心のそばに神様もまた御守くださると思います。「ありがとう御守」が、そんな心の指標になればと思います。
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