たくさんの神様

2007/12/09

師走に入り夜の街は、あちらこちらでイルミネーションがきらきらと点滅しています。ここニ、三年の傾向でしょうか、一般家庭の庭先やベランダを飾るクリスマスのイルミネーションがたいへん華やかになっているように思います。初めて日本を訪れた外国人の中には、「日本は敬虔なキリスト教国だったんだっけ?!」と驚く人もきっといるのではないでしょうか。今やイルミネーションの見物に出かけ、クリスマスを一人で過ごすことは寂しいヤツだ、とすら思わせてしまうほどの年中行事であるクリスマス。それに何の違和感を持たず、まるで元々そうであったかのようになじんでいられるのは、受容の国民性に培われた日本であるからと言えるでしょう。

斯くいうねぎどんも、子供の頃はもちろんクリスマスツリーを飾り、明治生まれのおじいちゃん、つまり、先代の宮司であるわけですが、注文してくれたアイスクリームのクリスマスケーキを食べることがとても楽しみでした。今改めて考えてみれば、戦前はエライ人だった先代宮司が、よくもまあいそいそとクリスマスケーキを孫に用意してくれたものだとその柔軟性に感心し感謝いたします。

ところで、神社にお参りにいらした方が、「ここはたくさんの神様がお祀りしてあるのですね」とおっしゃいます。またつい先日は、「新聞の神社特集を見たが、全国にずいぶんたくさんの神様が祀られているのに驚いた。神道は、天照大神、すなわちお伊勢さんを頂点にして一本化していると思っていたが、違うんだね。これは、外国人に説明するのは難しいよ」との声を聞きました。森羅万象に神が宿り、八百万の神というぐらいだから神様はたくさんいらっしゃり、その土地と結びついた神様に加え、政治勢力拡大に伴い有力者の信仰する神様をもってきて祀ることなどから全国には様々な祭神を持つ神社があります。そして、それらが独立独歩で崇敬されていて、誰もが普通にいろいろな神社に参詣することは、一神教の国の人にとっては、12月になると日本人がキリスト教徒風になるのと同じくらい理解に苦しむことなのでしょう。

境内に複数の神様が祀られていることは、極めて普通のことですし、境内の外に離れてある場合もあります。本社の祭神にゆかりのある神様を枝神(えだがみ)と言い、お祀りしているお社を枝社(えだやしろ)、または摂社(せっしゃ)と言います。厳密には、枝社と摂社は異なる意味を持ちましたが、今は同意語で扱われていますし、他に末社(まっしゃ)ということもあります。これからはどこかの神社へご参拝の際には、本社のみをお参りされるのではなく、境内のあるお社を一つずつ訪ねてみてはいかがでしょう。神様は、それぞれに受け持つ仕事、得意分野が違うわけですから、願意にぴったりの神様に出会い、さらにいっそうご利益があるのでは…。

当神社の一番大きな摂社は、陶祖・加藤藤四郎を祀る「陶彦(すえひこ)社」です。深川神社本社のご祭神は天照大神の五男三女神ですから、直接の関係はないのですが、この場合、瀬戸の陶業の発展に貢献したというように特別の由緒があるお社ということで摂社になります。瀬戸市の観光案内の表示は「陶彦神社」となっていますが、深川神社の中にもう一つ神社があるわけではないので正しくはないのですが、一般にはそのほうが分かりやすく慣例になっているのでしょう。

さて、今年も残す日々が加速度をつけてどんどん過ぎていきます。お茶をにごすような内容もあったかと思いますが、何とか十二月のコラムも更新できたことに安堵いたします。また、毎月読んでいただいた方、トップページのおみくじを引くのが楽しみで、ついでにコラムをお読みくださった方にも感謝いたします。どうぞ皆さま良い年の瀬をお迎えくださいませ。そして、来る平成二十年の初詣にお参り下さいますことを本社、摂社の神様と共にお待ち申しあげております。

掲載の記事・写 真・図表などの無断転載を禁止します。

著作権は深川神社またはその情報提供者に帰属します。