「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
10月末にそろそろコラム原稿を書かねば、と思っているうちに、あれよあれよという間に早くも11月に突入してもう一週間が経ってしまいました。境内に現れる小鳥たちも多くなりました。
群れで来るメジロは木の梢を忙しく飛び回り、「チチッ、チチッ」とウグイスのささ鳴きの練習が聞こえ、機敏なジョウビタキは尾を上下してあたりの様子を窺っています。そこへ「キーッ、キーッ」とかまびすしく急降下してくるヒヨドリに小鳥たちは逃げていきます。ヒヨドリはともかくとして、秋に訪れる小鳥たちの姿を見ると、今年もやって来たんだとホッとして嬉しくなります。そういえば、夏に「トーキングホイッスル」なる笛を買ってそのままです。鳥の鳴き方をよく聞き真似をすると、本当に鳥が寄ってくるバードコールになる笛だそうですから、練習を始めてみようかな。
さて、11月23日は、新嘗祭(にいなめさい)を執り行います。その年の五穀豊穣を祈念する2月17日の祈年祭(きねんさい・としごいのまつり)に対して、収穫を感謝するお祭です。その年に採れた稲穂をまず神様に奉献します。これが初穂です。ご祈祷などのお礼を納めるとき「初穂料」と封筒の表に書いたりもします。これは元々は神に供える稲穂が、米や他の穀物になったりし、更には他の農作物や魚なども、その時期に初めてとれるものを初物といって奉献したことが、お金にも転用されたわけです。
以前もお米について書きましたが、お米はいくら消費量が減少していると言われる昨今でも、やはり私たち日本人には主食であり、切ってもきりはせないない古来よりの大切なものだと思います。秋の田の実った稲穂を見ると、いつもある言葉を思い出します。「実るほど頭の垂れる稲穂かな」。豊に実れば実るほど穂先が重くなる稲。その実で私たちを満たしてくれる稲。私たちのあるべき姿をも示してくれている稲穂。
伊勢神宮では、一般の神社と異なり10月17日に神嘗祭(かんなめさい)が行われ、初穂を天照大御神に捧げます。その神宮のお膝元で大切なお米に泥をぬるような商いをしていた老舗をいかに眺めていらしたことか。場所が場所だけに何とも人の心のあり方にやるせなさを感じるねぎどんでした。
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