悲しい命

2007/10/10

法相の死刑に関する発言が問題になっていました。確かに、法の頂点に立つ立場としては口にするべき表現ではないとは思いますが、そんな言葉が口を滑ってしまう気持ちは、分からなくもないと思います。人の命を絶つ最後の決断をゆだねられるのは、相当大きな重荷でしょう。

神社に9月24日に一匹の捨て猫が来ました。お腹がぺしゃんこでひょろひょろ、目やにと鼻水も出ていて、声も満足でなくて鳴けず気の毒な様子でした。おそらく大きさから生後一、二ヶ月たっているでしょう。人に寄ってくるので飼われていたことが分かります。飼えない限り同情だけで餌を与えるのはかえって毒です。

でも、目の前で必死に餌をくれ、と小さな体で訴えている姿に、元々が嫌いでない私たちは餌を与えました。キジトラで尻尾も長く、近くでしゃがむと頭までよじ登ってゴロゴロと喉を鳴らすほど人に馴れたかわいい子です。里親を探すにも、あまりみすぼらしかったり、病気ではお願いもできないので、動物病院にも連れて行きました。「ネコ風邪」と獣医さんはおっしゃいました。たいしたことはないので投薬で治ると言われ、飲み薬と目薬で治療してやりました。

子猫が来てから約二週間、友人、知人にメールを出したり電話をかけたり、お参りにいらっしゃる方には、片っ端から子猫を引き取ってはもらえないか尋ねました。かわいいとなでてはくれるのですが、いざ引き取るとなると難しい問題です。何でもそうですが、小さいうちはかわいいから、ついついかわいがります。でも、大きくなるにつれて、厄介になります。大きくなればなるほど里親もみつかりません。

うちにはこのコラムに登場した白ちゃんが既に一匹おり、彼女も新しい存在にかなりやきもちを焼いて、行動パターンがおかしくなっています。獣医さん曰く、「猫はもともと集団生活する動物ではないので、ストレスがたまり病気になることもあります。一匹で飼うことが望ましいんですよ」このことは、私も知りませんでした。

そんなわけで方々手を尽くしましたが、とうとう保健所に連れて行く決断をしました。これは、ボロボロになってやってきて、餌を与えたときに心のどこかで覚悟していたことではありましたが…。生きれる限り生きよ、とどこかに捨てに行くことも考えました。しかし、人に慣れた子が野良猫になるには苦労がいるだろうし、人に信頼を寄せてなついている子が追われる身になるもかわいそうだし、何よりもその子はメスでしたから、もしもまた子猫が生まれてかわいそうな身の猫が増えるのはよくない循環です。

動物を飼うということは、最後まで面倒を見てやることだと思います。それがたとえ悲しい結末でも、その子とめぐり合った者の務めだと思います。自分の目に触れないところに捨てればそれですむ問題ではないと思います。人間の赤ちゃんでさえ捨てられたり、殺されたりする世の中です。ネコの子一匹ぐらい仕方ないのかもしれません。けれども、ねぎどんは、今も自分の判断が良かったのか悪かったか迷っています。猫の子でも何でも、命あるものはみな尊いと思います。

もしかしたら、これだけ手を尽くしたのにダメだった、というのは、子猫ではなく自分への言い訳かもしれないと、苦い思いで涙をふくねぎどんに急にやって来た秋が冷たく感じます。

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