「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
6月1日に伊勢神宮式年遷宮お木曳きに参加してきました。
一昨年は、御神木の奉迎祭を見学し、今回はその御神木のお木曳きを体験できたことはたいへん感慨深い思いでした。木曾(長野県)から切り出された御神木が長い時間と多くの人の手を経て伊勢の地に至ること、すなわち、その御神木に非常にたくさんの人の思いが寄せられることのすごさに感動したのです。
【写真】=伊勢神宮式年遷宮お木曳き
お木曳き車を太い二本の綱で引くのですが、綱を上下に揺らしながら木遣りの威勢のよい音頭に人々は合いの手を入れて「エンヤ!エンヤ!」と大声で叫びます。お木曳き車は、ごぉーという音を立てて動きます。人の声と車の共鳴が共演すること一時間。終着点の外宮に近づくにつれて何だか訳分からずに目頭が熱くなってきました。全国各地からただ一つの目的で集った人たちが、このわずか一時間を共有することで味わう感動なのでしょう。
御神木はもちろん木として立派です。選ばれて御神木となるのでしょうが、乱暴な言い方をすると元々はただの木です。本当の意味で御神木となるのは、そのただの木に人の心が込められることで尊さが備わるのではないかと思います。
第一回式年遷宮が、持統天皇4(690)年に行われて以来、二十年に一度の大行事が中絶されたのは、第四十回から第四十一回の期間だけです。内宮では寛正3(1585)年から123年間年間、外宮では永享6(1434)年から129年間です。古来より延々と全く同じ営みが受け継がれ、同じ思いで人々が携わってきた、正にDNAが人の体内から体内へ繋がるように人の心から心へ連綿として絶えることなく繋がってきたのだといえます。
先日、名古屋城を目の前にした会場で行われたある会議で、「やっぱりお城というものは立派だ」と改めて思い、築城当時の周辺にのっぽの建物がない江戸時代の人々がお城を眺める「立派さ」と比べるとずいぶんと味わいが薄いのだろうとも思いました。それと同じで、その昔一生に一度はお伊勢参りを目指して行脚した人々が、夢にまで見た伊勢神宮の御遷宮に偶然にも立ち会うことができたとしたら、崇敬の念そのものももっと厚く、その感動は現代の私たちの何十倍も大きかったことだろうと思いました。
便利になった世の中で便利になる遥か遠い昔と変わらぬ方法で、御社殿の調度品から建造までの全てをそっくりそのまま生まれ変わらせる「再生」と新たな「生成」を繰り返す御遷宮は、新しいものが次々と生まれては廃れていき、それ翻弄されている現代社会のひずみに苦渋する私たちへの警鐘ともなるのではないかとさえ感じたねぎどんでした。
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