「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
五月、神社の木々の緑もいっそう鮮やかになります。
葉を落とし続けたクスノキも、見上げるとずいぶんと新しい葉に変わっています。葉ではなく枝が落ち始めると掃いても掃いても同じだった掃き掃除もやっと峠を越えて一段落してきます。そして、今度は下を見ると、伸びてる伸びてるあそこもここも雑草が…。新たな種々(くさぐさ)の戦いが始まるのです。
さて、先日あるニュース番組で紹介されていた教会の様変わりに驚きました。
の番組によるとイギリスの七割がキリスト教徒ですが、日曜日に教会に通う人の数は以前の3割に落ち込んだとのことです。そこで教会が廃業せざるを得なくなり、空き家ならぬ、空き教会がでてきてしまったそうです。そして、ブリストルの空き教会の再生、新たな使い道にうーんとうなってしまってしまいました。
教会といえば高くそびえる塔を思い描くことでしょうが、その高さを利用した着眼点は素晴らしいと思いましたが…教会の中にヘルメットと手袋をつけた運動着姿の人たちがうごめいているテレビ画面はちょっと異様な感じがしました。何とロッククライミングの練習場となっていたのです。
そして、もう一つは、同じくその高い天上から吊り下げられた何本かの太いロープと張り巡らされたネット、こちらはサーカスの空中ブランコの稽古場に様変わりしていました。元々はプロの稽古用だったのですが、今では地域の人たちが練習に通っているそうです。
確かに空き教会を空いたままにしておくよりは活用した方がいいし、元来教会は地域の共同体の拠り所であったわけで、人が集まる場所として活かされるのは合理的なことだともいえるわけです。しかし、個人的なイメージかもしれませんが、イギリスは伝統を重んじるお国柄と思っていたので、その変身振りの素晴らしさよりも、よくもまあそんな改革的ことが受け入れられたものだと意外さのほうが強かったです。
そういえば、小学校の先生をしていたイギリス女性の知人が、最近は多種多様の国籍の子どもたちがいるので、宗教について触れることは難しくなったといっていました。とりわけ彼女が嘆いていたのは、クリスマスの時期には、必ず学校でキリスト生誕の物語を子供たちが演じたものだが、それも今は行われなくなってきたとのことでした。そして、日曜に教会も通わなくなっているので、キリスト教国であっても、宗教の形骸化が進んでいるのでしょうか。
宗教こそは違え同じ宗教に携わるものとしては、どうも複雑な気持で教会の空中ブランコを見ていたねぎどんでした。
神社も先を見据えて何か新たな使い道を考えねばならないのかしら…と。
でも、ある結婚式場で袈裟を来たお婿さんがウエディング姿のお嫁さんと教会で式を挙げる話も聞くほど、日本人ほど無宗教のお国柄もいないので、逆に一神教よりも抗争もなく安泰なのかもしれませぬ。
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