鳥居と地震

2007/04/17

境内の桜の花吹雪が終わり、今は楠の葉の嵐が続いております。昨年の夏に造園屋さんに枝をずいぶんとはらってもらったので、少しは掃き掃除が楽になるかと思っていたのですが、なかなかどうしてたいへんです。枝を切っても、切ってもすぐに伸びてくる楠の生命力と成長力には驚くものがあります。確か広島の原爆投下の後も息吹を吹き返した生き証人の楠があるはずですが、それも納得できます。

ところで、このところ地震のニュースが断続的に続きます。4月15日の三重県亀山市の地震はこの辺りも揺れたようでありましたが、私は感じませんでした。でも、別の建物で大きな窓に囲まれた部屋にいた母が、「今地震だった?窓ガラスが、がたがたっとかなり音とを点てたけど…」と、血相を変えて飛び出してきました。

その地震でも怪我をされた方、建物にも被害がありましたが、とりわけ3月25日に起きた能登半島地震でお亡くなりになった一名の方、また、多くの被災者の方に心からお悔やみを申しあげます。

3月25日、当神社は初午大祭の最中で、境内に張ったテントにいたので、地震が起きたことを全く知らず、ずいぶんしてからお参りにいらした方に教えていただきました。そして、夜になり初めてテレビのニュースを見てびっくりしました。報道された鳥居の倒れた神社、重蔵神社は、知り合いの方の神社だったのです。

震災の被害の様子を見ると、本当に人事とは思えません。とりわけ東海地震、東南海地震が、起こる起こると呪文のようにささやかれている地域の住民としては、明日は我が身かもしれない、と誰しも多少なりとも不安に思うのではないでしょうか。

子供の頃、神社の燈篭によじ登り、「こらーっ」と怒られた記憶のある人は、少なくないことでしょう。私も子供が登る姿を見つけたら、やっぱり叫びます。なぜなら、燈篭は重ねてあるだけです。くっついていないのです。鳥居も同じです。私はその場にいませんでしたが、平成4年12月末日に陶彦社の鳥居がゴォーッといって倒れたことがあります。ちょうど年末の大掃除でお手伝いの方もいたのですが、その付近には誰もいなかったことが幸いでした。

鳥居倒壊の模様をテレビで目の当たりにして、避けられない災害だと改めて強く認識しました。当神社の一之鳥居は、倒壊を恐れて平成12年9月7日に解体、撤去しました。過去の測定値と比較してわずかな傾きが計測された為の撤去でした。一之鳥居が建てられた大正一桁は、大八車が鳥居の下をくぐる時代で、そのときから比べれば、鳥居の下をくぐる交通量は重量からして増え、地盤は沈下しています。いつ何時どうなるか分からないわけです。

撤去工事の日、鳥居の一番上の部分が、大型クレーン2台に吊り下げられて降ろされたときは、本当に何ともいえぬ思いで涙がにじみましたが、それと同時に間近で見るその御影石の大きさに「よくも、まあ、こんな大きなものが載っていたものだ」と驚いたことを覚えています。もしも、そんなものが人の上に降ってきたら、大惨事なります。そう考えれば、なくなってしまった寂しさはあるものの、良策だったというよりありません。

重蔵神社の知人には、お見舞いの電話をしました。鳥居、燈篭、玉垣は、ものの見事に崩れているそうです。そして、社務所も傾いているとのこと。「でも、ご本殿自体は無事で、何とかお祭はできます。」と明るい声でした。被災地の方々は、余震のある中、これからのことを思うと途方にくれるばかりでしょうが、少しでも早い町の復興を祈り、また重蔵神社での春祭が地域の方々と共に斎行されることを願うばかりです。

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