「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
今月は、当神社の稲荷社でも初午(はつうま)大祭を行います。ウマもいないのに、なぜ初午というのか子供の頃は不思議でした。稲荷社の祭は、二月の初めての午の日に行われる行事なのでそう呼ばれます。もっとも現代は暦よりも生活に合わせ、土曜日や日曜日にずらして行う神社が多いので本来の意味からは遠ざかっています。その由来は、「神道辞典」(出版:弘文堂)によると「京都伏見稲荷大社の祭神が稲荷山に降臨したのが西暦711年2月11日(或いは9日)の午の日だった」とありますが、諸説があるとも書かれています。
お稲荷さんは、今ではもっぱら商売繁盛の神様として崇敬されているという感じが受けますが、元来、穀物の神様として崇められていました。ご祭神は複数あり、その中心的な神様に「倉稲魂命(ウカノミタマ、他の漢字での表記もあります)」がいらっしゃいます。稲荷も倉稲魂も漢字を見ているといかにも穀物、とりわけ稲の神様という感じがします。初午には、春には山の神が降りてきて田の神となり、秋にはまた山へ帰っていくという民間信仰の意味合いもあります。いずれも稲作を中心として生活が季節と共にあったことが伺えます。
「おいなりさん」と耳にすると、思い浮かぶのはキツネと油揚げではないでしょうか。神様の遣いと豊穣の象徴であるキツネ、そしてキツネの好物が油揚げ、ついでに、いなり寿司は、キツネ色の油揚げの中にご飯が詰まっているわけで、いかにも稲作の神様にはぴったりです。実は、当稲荷社では油揚げをいただくのは、キツネではなくカラスであります。くちばしに何か黄色ものをくわえて飛んでったな・・・と見上げると、油揚げ。最近はあまり上前をはねませんが、ごみをつつくまちのカラスの被害同様こちらも困ったものです。
最後に、キツネは人に化けるとか、人をだますとか、お告げをするとか、何か不思議な力をもった動物と昔からとらえていました。そんなキツネの登場する話はいくつかあります。
ぎどんが好きなのは、何度読んでも、分かっていて読んでも、鉄砲で打たれてしまう場面になると涙がこぼれる新実南吉の「ごんぎつね」。「義経千本桜」に登場するのは、人間の姿で鼓なってしまった母キツネを慕って静御前のお供をし、鼓の音色を聞くとしぐさや動作がキツネになる源九郎狐。自分を助けてくれたせいでけがをした男性のもとへ女性の姿で恩返しに現れ、夫婦にまでなってしまう「葛の葉」の葛の葉きつね。ついでに、その子供は、後の安部晴明。
物語にもなることは、キツネは人の生活する里山にいて身近な動物だったのでしょう。そうそう、キツネの嫁入り。お天気雨のときはそう言います。これも晴れている日に雨が降るのが奇異であるからでしょうが、おもしろい表現だと思います。皆さんも生活の中のキツネ狩りをしてみてはいかがでしょうか。
掲載の記事・写 真・図表などの無断転載を禁止します。
著作権は深川神社またはその情報提供者に帰属します。