「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
以前にもこのネタでコラムに書きました。お正月には御札、御守、破魔矢、熊手、しめ縄など色々なものを神社に納めにいらっしゃいます。その中でも不思議ナンバーワンは、以前より減ってはいますが、お飾りの「カラ」?「殻」?「空」? この場合、どの字も当てはまりそうです。
ふつうに考えても中味のお餅がなければそれはただのゴミ。どうしてゴミを神様に納めるのでしょうか。ふつうのゴミにはもったいない・・・?それは、ちょっと違うのではないかしらん。
一般ゴミの収集や愛知万博での細かなゴミの分別に慣らされた成果があるのか、余計なものは年々減少しています。また、もう一つの理由に、納め処を社務所のすぐ前に設置したので目にとまりやすく、入れては困るものに気が付けば、お客様に声をかけやすくなったこともあります。そんなことのお客様とのやり取りで、ねぎどんが反省したことを書こうと思います。
不思議ナンバーツーに入るであろう「賀正」と書かれた印刷物。瀬戸市では、年末に広報と共に家庭に配付され、玄関先になどに貼ってあるのですが、これをどういうわけか持っていらっしゃる方が多いのです。
あるとき、袋に入れて持参したしめ縄などにその「賀正」の紙が混ざり、それも納めようとされていたご年配の男性が「これは、ええか?」と尋ねられました。そこで「それはただの印刷物ですから、ご家庭で出していただいていいですよ」と答えたのです。すると、その方は「印刷物と言ってしまえば御札さんも印刷物やし、そんな事は言わんほうがええ」と、おっしゃいました。ねぎどんは、はっと思い非常に恥ずかしくなりました。
それから、もうつの反省。
今度はご年配の女性が大きな手提げ袋にいっぱい新聞に包んだものを持っていらっしゃいました。何でもご近所のお年寄りの方々の分を、神社まで来るのが大変だから預かってきているそうです。紙袋・ビニール袋・新聞紙は持ち帰りをお願いしているので、私も新聞紙を開けるお手伝いをしましたが、本当に様々なものが入っていました。
そこで、神社に納めるべきもの以外の余分なものは家庭で処分していただいてよい旨を説明したところ「そうやって教えてもらって良かったです。自分ではゴミに出していいか悪いか分からないからね」とおっしゃいました。
この言葉に、納め処にゴミ≠入れる現場を見るとつい「それは、入れないで下さい!!!」と、目くじら立てて叫んでしまうことを反省しました。
確かに「普通のゴミに捨ててよいのか分からない」は、「ゴミとして出すことが悪いような気がする」、「何かばち当たりのような気がする」という気持なのでしょう。神社側としては「何も起こりません、大丈夫ですよ」と、不安を取り除くことをお客様に丁寧にご説明申しあげる必要があるとつくづく思い、神職とお客様との立場と気持の温度差を、今年のねぎどんの課題にしようと考えたしだいです。
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